雨に語ろう

「ずいぶん静かに降っているわね」

 天幕の端で読書に励むウィノナが、そうぽつりと呟いた。程よい雨音は集中を阻害することなく耳に入り、心地よい時間をもたらしてくれる。
 天窓から見える空はすっかり雨雲に覆われているが、おかげで少し肌寒いくらいの、過ごしやすい気温となっていた。
 読書に耽る彼女が携えているのは先日集落を訪れた商人から買いつけたもので、パルミラでは珍しい、フォドラの言葉で書かれたものだ。少々値は張ったものの、フォドラの文化に触れる貴重な機会であったのでクロードに頼み込んで買わせてもらった。
 これがパルミラとフォドラの壁が壊れた影響なのか、それとも一部地域から流れてきたものなのかはわからないが――それでも、久しぶりに触れる母国の言葉はとても心地が良く、そのうちすっかりくたびれてしまうのではないかと思うくらい、ウィノナはそれを繰り返し読んでいた。

「ま、そのおかげでなかなかの読書日和じゃないか? 今の季節は雨も少ないし、文字通り恵みの雨だろ」
「そうね……陽射しが照りつけているよりは何倍も過ごしやすくて助かるわ」
「ここ最近は特に暑かったからなあ。……今頃、あいつもどこかでのんびりできてるといいんだが」

 季節外れの雨が降り始めた頃、クロードの白竜は雨を凌ぐためどこかに消えていった。いわく、雨が降ると立ち寄るお気に入りの場所があるらしい。
 クロードも未だにその場所を突き止めてはいないようだが、別に怪我して帰ってくるわけでもないし、ある程度は好きにさせているそうだ。
 クロードの穏やかな語り口は、雨音と同じくらい耳心地が良かった。そのうち眠気まで誘発しそうなそれに、ウィノナは少しだけ姿勢をただして、再び手元の本へと意識を戻す。
 しかしそれも、程なくして口を開いたクロードにすぐ妨げられてしまった。

「この旅が終わったら、一旦フォドラに帰ってみるか?」

 まさしく青天の霹靂。ちょうど遠くから雷鳴が聞こえてきた頃に、クロードが爆弾を投下する。
 ウィノナはさっと顔を上げて、頬杖をついたままの、真意の見えないクロードを見つめた。

 もしや、とうとう愛想を尽かされたのだろうか。自分がフォドラの本ばかり読んでいるから、彼と共に国を越えたことを後悔していると思われたのかも。嗚呼、いよいよ放り出される羽目になるかもしれないのか――そう思うとすっかりと肝が冷えてしまって、ウィノナはクロードに悟られないよう、生唾を飲み込んだ。
 しかし、ウィノナの杞憂などクロードにはお見通しのようで、彼はにんまりと笑いながら続ける。

「べつに、そのまま置いて帰るようなことはしないさ。ただ、ヒルダやローレンツの顔を見に行くのもたまにはいいだろ?」

 それこそがこの旅の終着点ではないか。そんなふうに話しながら、クロードはゆっくりと立ち上がり、ウィノナの隣へ移動する。
 ウィノナの心を覆った不安を払拭するように、優しく肩を抱くクロード。彼はウィノナの手にあった本をそっと机に移し、顎をすくって自分のほうを向かせた。
 ウィノナがいっさい目を逸らさないように。自分の真意を取り違えることのないようにと、まっすぐに、穏やかに、そのすべてをぶつけてきた。

「きょうだいにも見せてやろうぜ。俺たちが如何に仲睦まじく過ごしているか、ってのをな」
「……そうね。先生は、ずっと私たちの仲を案じてくれていたもの。……ううん、先生だけじゃないわね。金鹿の学級のみんなが、私たちのことを気にかけてくれていた」
「おう、わかってるなら決まりだな。……本当なら、一緒に懐妊の報のひとつでも持って行ってやりたかったが――」

 言いながら、クロードは笑みを濃くしてすぐにウィノナのくちびるを奪う。
 しっとりと降りしきる雨の音に紛れた二人の睦言は、やがて青空が見え隠れする頃になっても、終わる気配を見せなかった。

 
×××へのお題は『雨の日の約束』です。
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2022/08/30