いつもそうして

 わたしのなかで再び頭をもたげはじめた、セリス様への恋心。
 ひとたび目をさましたそれはみるみるうちに膨らんでいって、一度抑圧されたせいなのか、ともすると以前よりも大きく主張しているような気さえする。その怪物はいつもわたしの耳の隣に心臓を持ってきて、セリス様の一挙一動に反応し、わたしから平常心を奪ってゆくのだ。
 しまいには今までならまったく気にならなかった何気ない所作、交友関係まで目についてしまって。正直、戦争という時勢においてはやはり起こさないほうがよかった、と思わざるを得ない。
 それほどまでに、わたしの奥で膨れ上がる恋心は驚異的な力を持っていた。なぜならわたしは、今頃になって思い起こされるセリス様にまつわる記憶の数々に、ひどく振りまわされる羽目となっているのだから。

 
  ◇◇◇
 

(……なんで、今さらこんなことばっか考えちゃうんだろ)

 ミーズ城のなかを練り歩きながら、わたしはぐずぐずと考え込んでいた。考えれば考えるほど泥沼にハマり、すっかり足をとられてしまったような心地になりながら、お手上げとでも言わんばかりに中庭の木陰へ腰を下ろす。戦火にありながらも空だけはひどく爽やかで、わたしはあの太陽や雲にすら嘲笑われているような気分になった。
 鬱屈として仕方ないわたしの脳裏で走りまわるのは、先日リーンと相まみえたときのセリス様のお姿だ。彼は初めて見る踊り子にたじたじで、頬を染めながら言葉も言えないくらいになっていた。その様子は年頃の少年そのもので、“光の皇子”なんて大層な肩書きを背負っているとは思えないくらいの、ありのままのセリス様のように見えた。
 わたしの前ではいっさい見せない表情だった。その一挙手一投足に至るまで、このわたしは一度だって、あんなセリス様を見たことも、見せてもらったこともない。
 今頃になってそれが気になって仕方がないとは、わたしは存外心が狭い質のようだ。
 ――否、むしろそれ以前の問題だろうか。結局のところ、セリス様とわたしはイザークで共に育った同士、もしくは解放軍の仲間というだけだ。先日のセリス様の爆弾発言こそあれ、それ以上でもそれ以下でもない関係なのだから、狭量だと思うこともお門違いのような気がする。
 ……そうなのだ。今のわたしにあれこれ悩む筋合いなんていっさいなくて、むしろ厄介なことばかりを考えてしまっている。その自覚ならひときわにあった。
 しかし、いくら自覚があれどもくよくよしてしまうのが人間であって――わたしは、セリス様との関係とおのれの感情の段差に揺らぎ、ずっと気の晴れない日々を送っていた。

「いっそ、わたしが踊り子の格好をしてセリス様を揺さぶっちゃえば、全部すっきりするのかな――」
「踊り子が何だって?」
「ふわぁっ!?」

 突如、頭上からかけられたのはひどく聞き慣れた声だった。わたしは膝を抱えて丸くなっていた体をぴんと伸ばし、何度も瞳を瞬かせる。
 声変わり以前からずっと聞いてきたそれを聞き間違うはずもなく、わたしは声の主が誰であるかを瞬時に理解する。案の定わたしの頭上にあったのはスカサハお兄ちゃんの見慣れた顔で、わたしは羞恥と安堵を綯い交ぜにしながら、遠慮がちにお兄ちゃんを見上げた。
 お兄ちゃん、と言っても血のつながりがあるわけではなく、ただ、イザークでずっと一緒に育ってきたからそう呼ぶようになった、というだけだ。お兄ちゃんもわたしも双子の兄妹という共通点を持っているので、四人で一緒にいる時間は自然と増えていった。
 お兄ちゃんは怪訝そうなふうに眉を潜めていて、寡黙な口を引き結び、わたしの言葉を待っているようだった。

「え……ええと、そのう。わたし、踊り子に興味があって――」
「そうなのか? しかし、おまえの身体能力じゃあ踊り子は務まらないと思うが」
「なっ……も、もお! 失礼なこと言わないでよ」

 わたしが頬をふくらませると、お兄ちゃんは眉を下げて「すまん」とだけ謝罪をくれた。あまり心はこもってないようだったが。
 とはいえ、半分図星というところもある。わたしは身体能力があまり高くないようで、戦いにおいても後衛として魔法でみんなを支えることのほうが多かった。前線に立ったり、人を鼓舞する踊りを披露したりというのは、やはりなかなか難しいことなのかもしれない。
 わたしの持つものを知っているお兄ちゃんは、きっとわたしの踊り子に興味がある、という発言もいっさい信じていないだろう。その証拠に、お兄ちゃんの刺さるような視線がずっとわたしのつむじに集まり続けている。
 こうなっては、もはや言い逃れもできそうにない。わたしは潔く観念し、相談がてらお兄ちゃんへ始終を打ち明ける。
 わたしが言葉を発するたびにお兄ちゃんはじわじわと顔を青くしていったけれど、それでもわたしの言葉を遮ることはなく、しっかりと最後まで聞いてくれた。

「ロヴン……おまえ、なんてことを考えるんだ」
「うっ……だ、だって! それくらいしか、このモヤモヤを晴らす方法を思いつかなくて」
「しかし、セリス様は――いや、俺たちは皆とても大事な戦争に身を置いているんだぞ。そんな浮ついたことを考えるべきじゃない」
「ううっ……」
「その作戦の是非は置いておいても、実行するべきなのは今じゃない。そうだろ?」

 お兄ちゃんの降らす正論の雨は、わたしのなかで沸々としていた欲望の炎を鎮火する。やがていっさいの勢いをなくしたわたしが項垂れるのを、お兄ちゃんは何も言わずに見守ってくれているようだった。
 そうして、しばらくのあいだすっかり充満していた静寂を断ち切ったのは、やけに神妙なお兄ちゃんの言葉だったのだけれど――

「おまえはいつもそうだよな。臆病なくせに突拍子もないことばかりして、すぐに俺の心を掻き乱す――」
「え?」
「……いや。何でもないさ」

 言いながら、お兄ちゃんはわたしの頭をくしゃくしゃにかき混ぜる。
 優しくも乱暴なお兄ちゃんの右手を静止させるために顔を上げると、わたしの眼に映るのはお兄ちゃんの顔。見慣れたはずのそれはいつもどおりなようでいて、なんとなく、本当になんとなく、違う色を湛えているようにも見えた。

(お兄ちゃん……?)

 柱石に秘められた想いが何なのか――結局、わたしにはそのいっさいがわからずじまいだった。
 

2022/11/25