きみを守るよ

 マーニャが戦死した。
 シレジアが天馬騎士団マーニャ隊は、同じく天馬騎士団に所属していたディートバ隊や、ユングヴィ公子アンドレイ率いるバイゲリッターに立ち向かい――そして、あえなく散ってしまった。
 さしもの天馬騎士たちも天敵である弓兵相手にはなす術もなく、まるで虫けらのように一人残さず撃ち落とされ、あっという間に全滅してしまったのだという。
 たとえ最後の一人になっても、勝ち目のない戦いだとしても。どんな苦境であってもいっさい諦めようとしなかったマーニャの勇姿は、もはや後世に語り継がれそうなほどに神聖で、ひどく痛々しいものであったそうだ。

 なぜここまで仔細を知っているのかというと、先立っての戦いにおける生き証人が目の前に立っているからである。草芽の色をいっそうの悲壮感に染めて、彼女はぼうっと立ち尽くしていた。
 彼女は――アグネは、隊長であるマーニャの計らいによってたった一人生かされてしまった。共に修行をつんだ仲間のいっさいを失ってなお、この世に残り、生きてゆく道を選ばされてしまったのだ。

「あ……その。アグネ、大丈夫?」

 我ながら、ひどく馬鹿げた声のかけ方をしてしまったと思う。こんな状況に陥って、よもや大丈夫なわけがないのに。
 この度の出来事は、たとえ強靭な精神の持ち主であったとしても鬱ぎ込んでしまうほどの事態だろう。そのうえ、よりによって今回の当事者はうら若き乙女であるのだから――その心痛のほどは計り知れない。
 やはりというかなんというか、アグネはいっさい笑おうとしなかった。振り向きこそすれ、かつて新緑のようであった瞳は苔のように濁っている。いっさいの悲哀をねじ込んだようなそれはアゼルの胸を強く刺して、思わず後ずさりまでさせた。

「――の、せいで」
「え?」
「あ……あたしのせいで、マーニャ様たちが――」

 言うやいなや、アグネはほろほろと大粒の涙を流し始めた。幼子のように肩をゆらして泣きじゃくるすがたは庇護欲を強く刺激して、居ても立ってもいられないほどアゼルの心をかき乱す。
 普段あれほど笑っていたアグネがここまで憔悴するなんて――衝撃に硬直する傍ら、脳内はいやに高速で動き始めた。
 もしかすると、母親が亡くなったときもそうだったのだろうか。以前は朗らかに笑いながら、まるですっかり乗り越えた過去のように振る舞っていたけれど……当時の彼女は、こんなふうに壊れそうなほど泣き明かす夜を幾度も越えてきたのかもしれない。
 まるで教会で懺悔するかのごとく、アグネは滝のようにとめどない吐露を続ける。

「あたし……た、戦えなかった。マーニャ様たちが、みんな果敢にバイゲリッターへ立ち向かってるのに……あたし、とても怖くて」
「それは仕方ないさ。天馬騎士団の人からしたら、弓兵ばかりのバイゲリッターは天敵そのものだし」
「う……そ、そうしたらね。マーニャ様が逃げなさい、と仰って。みんなも、あたしにラーナ様を頼むって――」
「それで、シレジア城に戻ってきてたんだね」
「で、でもあたし、ラーナ様をお守りすることもできず、ドノバンに捕らわれてしまって……ほ、本当に、役立たずで――!」
「そんなことはないよ! 君は懸命に戦っていたのだから、そこまで自分を卑下しなくても大丈夫さ」
「でも……ッ、――!」

 アグネの静かな慟哭を、その全身で受け止めながら。
 気づけばアゼルは、衝動のままに彼女のことを抱きしめていた。見た目どおり花車な体はすべてを背負わせるには細すぎて、殊更胸が苦しくなる。
 けれど、これしか方法がなかったのだ。失意の底にある彼女の口から、まるでおのれを呪うような言葉ばかりが出てくることを許せなかった。自分を卑下して、貶めて、後ろ向きなふうに振る舞ってほしくなかったのだ。

「もういいよ、アグネ。……もう、いいんだ」

 アゼルの言葉を受けてか、アグネはとうとう声をあげて泣きだしてしまった。
 行軍の合間、すっかり深い夜となったおかげで月明かりがシレジアの大地を神秘的に照らしている。雪景色は神聖な雰囲気を醸し出しながら銀色を帯びていて、この土地が戦争によって紅く染まっていることにもまた、強い憤りを覚えた。
 アグネは何も悪くない。彼女が苦しんだり泣いたりする必要は微塵もなくて、そもそもマーニャが死ぬ理由だっていっさいなかったはずだ。
 こんなこと、本当はあるべきでなかったのだ。

「これから先も、きっときみは自分自身のことを許せないままだと思うけど……ぼくは、ぼくだけはきみを許すよ。きみは何にも悪くない。……なんにも、悪くないんだ」

 震える肩を強く抱きながら、アゼルはまるで幼子にでも言い聞かせるかのごとく、優しくも力強い声色でそう言った。

「ぼくがきみを許すし……これからは、これ以上傷つくことのないよう守ってみせるから。……守りたいんだ、きみのこと。きみに涙は似合わないからね」

 ――守りたい。泣きじゃくるアグネのすがたを見て、一番に思ったことはそれだった。彼女を弱っちい子だと言うつもりは毛頭ないけれど、こうして傷つき、このうえないほどボロボロになった彼女を放っておくことなんかできない。
 守りたいし、支えたい。助けたいと思う。セイレーン城で触れ合うなかで少しずつ育んでいた彼女への気持ちが、そのまっさらな涙によってすっかり爆発してしまったようだ。
 エーディンのように劇的で胸を熱くするものとは違う、もっと奥から湧き上がるような想い。淡い憧れとは似て非なる複雑に絡みあったそれが、アゼルの体をぐっと熱くして、強い自覚を芽生えさせる。
 アゼルの言葉を受け、アグネは体の力を抜き、まるでしなだれかかるようにアゼルに寄り添う。ふわり、涙の匂いに混じってアグネの悲嘆が香った気がして、腕に殊更力を込めた。
 もぞ、と小さく身動ぎしたあと、アグネはか細い言葉を吐く。

「アゼル……あたし、あなたたちについて行くわ」
「えっ――でも、きっと危険な旅になるよ」
「じゃあ、あなたがシレジアに残ってくれるの? それともまさか置いていくつもり? 守ってくれるって言ったのに」
「そ、それは……でも、ぼくたちはグランベルで反逆者の汚名を着せられているようなんだ。もしぼくたちの軍に加わったら、きみだって――」

 ――反逆者。そう口に出した途端、頭の中でパズルのピースがかち合うような感覚をおぼえた。
 思い出したのだ。以前、アンフォニー城でシグルドとフィラート卿が話していたことを――

 
2022/11/05