ゆるり、蜜月

「三周年?」
 はた、と顔をあげたウィノナは、文字通り不意をつかれるままに言葉を発した。目の前にあるのはいつもどおり飄々としていて、けれどもどこか浮き足立ったようなクロードの顔である。
 眩しい太陽を背に口角を上げるその表情を、半ば直感的に「好きだ」と思った。もちろんそれは共に歩み始めてからほぼ毎日思っていることであるけれど、こうしてふと、彼への想いを再確認するような瞬間があるのだ。
 穏やかな風を感じながら、天幕の外でのんびりと読書にいそしんでいた昼下がり。ほんの数秒前、クロードはゆっくりとウィノナのもとへやってきたのである。
「覚えはないか? 『三周年』って言われてさ」
「そうね……あなたが初めて野獣になった記念日、とかかしら?」
「ぐっ……ま、まあ。当たらずといえども遠からず、といった具合だな……」
 さっきまでの自信満々な表情はどこへやら……いささか渋い顔をしたクロードは、まるで悪戯に失敗した子供のごとき顔で目を逸らす。パルミラの高く広い空の下、彼の背中に見えるのは少し離れたところにあるどこかの家族の天幕だ。
 からかうのはやめてやるか。ウィノナとて、せっかくの今日という佳日を無粋な悪戯心で台無しにしたくはない。もごもごと言葉を選ぶような様子のクロードをじっと見つめながら、静かに言葉を吐いてやる。
「いやね、この私が覚えていないとでも思って? ……わかってるわよ。今日はあなたが私に求婚してくれた日でしょう?」
 微笑みを浮かべながら思い出すのは、あの激烈な数節のこと。
 恩師であるベレトともに、フォドラ全土を包む戦乱に身を置いていた、息もつかせぬような日々。家を捨て、国を捨て、弟を捨て、業火のごとき争いを鎮めたそのすぐあとに、ウィノナはクロードからの求婚を受けた。熱烈で、一心不乱で、なりふり構わぬ不器用な愛を。
 忘れられるわけがないのだ。なぜならばこのウィノナも今まさに、あれからもう三年にもなるのかと思い耽っては、文字を追うだけの読書に励んでいたところだったのだから。
 そしてたびたび脳裏によぎるのは、王位継承までの数年間だけ許されたこの二人きりの暮らしが、そろそろ終わりに近づいているということ。クロードと二人、国王になるための準備や引き継ぎ、彼の夢を叶える手はずを整えながら、まるで新婚夫婦のように送る平和で甘ったるい日々も、きっともうすぐ終わってしまう。
 もうすぐ、今ここにいる「クロード」は、パルミラの国王である「カリード」になってしまうのだ。
「そうだわ、久しぶりに遠乗りでも行きましょうよ。あなたの飛竜と、私の天馬で」
 けれど、今この瞬間にそんな薄暗い考えは必要ない。まだ見ぬ未来を憂いて影を落とすなど、それこそ先刻厭うたような無粋な考えに他ならないからだ。
 ウィノナは天幕の裏におとなしく佇んでいる飛竜と天馬に目配せをして、愛おしい夫に逢引のお誘いをする。このところご無沙汰だった遠乗りは、それこそ士官学校時代をよぎらせる思い入れある行為だった。
 ウィノナの考えをわかっているのか否か、否、きっと理解しているのだろう、クロードはふにゃりと口元を緩め、ウィノナの申し出に快諾を返す。分厚い手のひらがウィノナのそれを引き、ゆっくりと立たせて抱きしめた。
「今日は特別な日だ。うんと遠くまで行って、見たことない景色を見てやろうぜ」
「ふふ……ええ、とっても楽しみ」
 ――愛してるわ、クロード。
 愛の言葉と共に重なった唇は、とうとう飛竜が小さく唸る頃まで、決して離れることはなかった。

 
サイトが三周年でした
20210606