ほろほろ、ほろり

本編後、inパルミラ

 
「あれ、クロードくんそれどうしたの?」
 ちょん、とおのれのまぶたをつつきながら口を開いたのはヒルダだった。
 化粧に彩られた桃色の瞳には何の異常も見られず、相変わらずの愛くるしい目でもって眼前にある人間を見つめている。こてんと首を傾げる仕草には有り余るほどの愛嬌があった。
 一方、そんな彼女の愛らしさにちっともなびかない稀有な人物――パルミラ王子クロードは、上等なしつらえの頭布とおろした前髪をいじりながら、どうにも渋い顔をしている。
「あー……やっぱり目立つか?」
「当然でしょ、王子様ともあろう人が一体全体どういうことなのー? ちょっと格好悪いかもー」
「言ってくれるなよ……せめて悪態をつくなら、俺を襲った無慈悲な砂埃のやつにしてくれ」
 大きく肩を落とすクロードは、背後に控えていた女中とひと言ふた言会話をしてから再びヒルダに向き直る。彼が何を言っているのかはパルミラ語に不慣れなヒルダにはわからなかったが、しかし彼がそれなり慕われていること、ここでは「クロード」ではない、別の名前で呼ばれていることだけはなんとなく理解できた。
 クロードという名前が偽名であると聞かされたとき、ならば本名のほうで呼んだほうがいいのかとローレンツが問うたこともある。しかしクロードは悩む素振りすら見せないまま、「お前たちに呼ばれるのはそっちがいいのさ」とからりと笑って答えたのだ。
 その笑顔の意味も彼の意図もすべてをくみ取ることは出来なかったけれど、ただ数年呼び続けた名前を改める必要がないことだけはありがたかった。
「――あら、ヒルダじゃない。来ていたのね」
 数年前の話に思いを馳せていると、屋敷の上等な柱の裏から見慣れた人影が現れた。彼女は他でもないクロードの妻であり、ヒルダにとっては仲の良い級友でもあるウィノナだ。
 ファーガスの出身であるはずなのに、ウィノナはパルミラの装束をまるで生まれたときからそうであったかのように、違和感なく着こなしていた。しゃらしゃらと音を立てる装飾品はかつてヒルダが結婚祝いに贈ったもので、変わらず身に着けている事実に少しだけ胸が暖かくなる。
 相変わらずの見事な衣装だ。フォドラでは見られないような意匠に目を奪われつつも、久しぶりに見る友人の顔へ親愛の視線を向けた刹那、ヒルダはあ、と大きく口を開けた。
「う、うっそ……! ウィノナちゃんも、それー」
 そう、ウィノナの左目にもクロードの右目にあったものと同じ異常が――所謂はやり目が表れているのだ。真っ赤になった目はやけに潤んでいるようで、左目の化粧が落ちかけているあたりから涙がとまらないのだろうことがわかる。
 ヒルダの指摘に納得したのか羞恥を刺激されたのか、気恥ずかしそうに肩をすくめるウィノナに数歩近づいたとき、ヒルダはふと思い出したのだ。それは実兄であるホルストから何度も聞かされた面倒くさい話であったのだけれど、今の二人の現状を見て兄に少しだけ感謝の念を送る。
 なぜなら今、ヒルダはクロードとウィノナの二人のあいだに何があったのかを、聞き流していたはずの兄の話から得た知識でもって、しっかりと理解できてしまったのだから。
「ふうーん……二人が相変わらずの仲みたいで、ヒルダちゃんちょっと安心したかもー」
 はやり目は移りやすいのである。そして、二人の発症が左右対称ということは、つまりそういうことなのだ。
 にやにやと訳知り顔をするヒルダを前に、クロードはもう何も言うなと顔を覆うのだった。

 
20210106