臆病者の恋路

「あんたは、どことなくクロードと同じ匂いがします」
 突き刺さるような視線とともに言葉を発したリシテアは、ただの一度も目を逸らすことなく、じいとウィノナを捉えている。
 事の発端は積み上がった本の山を前にうなだれるリシテアを見たことだった。彼女はひどく頭が良いが、反面とても非力である。体力もなければ力もないか弱い少女を助けるのは、かつての級友であり力もある自分の役目であろうと考えたのだ。
 意を決したリシテアの両手が分厚い本を十冊ほど、ほんの一瞬持ち上げたとき。ウィノナは横から滑るようにして彼女の荷物を奪った。ウィノナにしてみれば片手で簡単に運べるようなものでも、きっとこの細腕では休憩を挟んでやっとなのだろうな……と、五年経ってずいぶん縮まった身長差を前に思う。
 どこへ運べばいいの? そう問えば、リシテアはもごもごとしながら自室のほうを指す。すたすたと手ぶらの彼女を放っていくような勢いで進む背中に感謝の言葉よりも早く飛んできたのは、これくらい自分で持てます! という痩せ我慢もいいところの強がりであった。
 適材適所というものがあるでしょう、とそこそこの理由をつけてなんとか彼女を宥めすかし、あーだこーだと言い合いながら、やっとの思いで彼女の部屋まで本を運びおわったのがついさっきのこと。机の上に本を積み上げ、上下の区別もなくなった背表紙を適度に直して帰ろうとした頃に、冒頭の言葉がかけられたというわけだ。
「あら、あんなに魅力的な人と似ているだなんて光栄なことね?」
「みりょ……うーん、まあ、魅力的じゃないと級長なんて務まりませんしね」
「ふふ、ええ、そうね」
 くすくすと、ウィノナはまるで自分が褒められたかのように……否、それよりも嬉しそうに笑ってみせる。けれどその笑みも一瞬だけ悪戯な女の顔へと変わり、戸惑ったように首を傾げるリシテアへ標的を定めたようだった。その目は獲物を狙う狩人のそれに近いものであったが、当のリシテア本人は、おのれが揶揄の対象になったことなど露も気づいていないようであり――
「あんた、なんだかすごく嬉しそうですけど」
「ええ、もちろん。好きな人が褒められたんだもの、それで喜ばない女は少ないと思うけれど」
「好ッ……あ、あんた、そんなことを恥ずかしげもなく――」
「私の気持ちなんて、他でもないクロード本人が既に知っていることだから。今さら恥じる理由なんてないわ」
 すうと目を細めたウィノナに対して、果たしてリシテアは何を思ったのだろうか。だんだんシワが寄ってきた眉間はどことなく不服そうであって、しかしそんな彼女のすがたを眼にとらえ、ウィノナはまたくつくつと笑うのだった。
 ――面白い。彼女は、ひたすらにそう思っている。
「あら、私はてっきりあなたもそうだと思ったのだけど……違うのかしら」
「はあ!? どうしてわたしがクロードを――」
「『魅力的』を否定しなかったじゃない。だから、もしかしたらあなたも同じ気持ちだったのかしらと思って……」
「そんなわけないじゃないですか! からかうのもいい加減にしてくださいよ、ほら、もう、帰って帰って!」
 ぐいぐいと背中を押されるがまま、とうとうウィノナはリシテアの部屋から思い切り閉め出されてしまった。はっきりとした施錠の音は「もう来るな」とでも言っているようで、しかし無礼を思うよりも先に、おかしくってたまらないという愉悦にも似た感情ばかりが溢れてくる。扉の向こうからは何やらぶつぶつと独り言をしゃべっている声が聞こえてきて、なるほどこれは確かにからかい甲斐のある子だな、と認識を強める。
 ――リシテアがクロードに恋慕の念を抱いているか。正直、それを考えたことは今までただの一度もなかった。
 いたずらに種を蒔くのは褒められたことではないだろう。実際リシテアがクロードを異性として意識しているように見えるかと問われたらウィノナは否定を返すのみで、なぜなら彼らはただの級友という範囲から逸脱しそうには見えないから。
 おのれのしでかしたことを鑑みながら、ウィノナは自分自身のことを、ひどく勝手な人間だと思う。自分が彼に選ばれないとわかっているからこそ、戦争が終わって、自分がいなくなったあとの彼がひとりきりにならないよう、こんなふうにいらぬ芽を出さんとしているのだから。
 自分勝手で、偽善的。そんなもの、どれもひどく嫌う人間のすることだ。目の前で自分以外の誰かと色恋の沙汰を繰り広げるクロードなんて、たとえ噂のひとつでさえも、目に入れたくないと思っているくせに。
 

20210120