僕らが育むこれからの

「――よし。これで大丈夫だと思うよ。多分、あっちの土は水分も多いし、ちょっとお水をやりすぎちゃったのかもしれないね。この花はもっと乾燥しているほうがいいから」
「なるほど……やっぱり、それぞれに適した環境があるのね」
「そうだね。でも、一気に全部詰め込むのはよくないから、少しずつ覚えていこう。ロナート様もそう仰っていたから」

 ざく、ざく。彼が円匙で土をいじるたび、むせ返るような土の香りが漂う。かつては泥臭さにひどく厭うていたそれも、近頃はすっかり落ち着く香りだと思うようになっていた。
 なぜなら、この香りは彼と共に作業をしていることや花を愛でていることの証明でもあるし――この土の香りの裏側で、まるでかぐわしい花の芳香が薫ってくるようでもあるからだ。
 鼻腔をくすぐるそれは心の凝りをすっかりほぐすようで、ガルグ=マクの温室を彷彿とさせた。二人で懸命に歩んだ日々や、同じ学級の友人たちの笑顔――そうして少しずつ積み重ねてきた思い出に想いを馳せながら土をいじるのが、最近のささやかな楽しみとなっている。

「でも、本当に綺麗になったわね。戦争があったなんて信じられないくらいに」

 一時期はひどく傷ついていたガスパール城だが、最近では修繕が進み、すっかり元の姿を取り戻しつつあった。いま私たちの目の前にある庭園だってそのひとつだ。
 この庭にはかつてロナート卿が子どもたちと世話した名残がたくさんあって、ファーガスらしからぬ豊かな花壇は領地内のちょっとした名所になりはじめている。商人から買いつけた種は旧帝国領や旧同盟領のみならず外部から運ばれたものもいくつかあり、このガスパールでしか見られない花も少しずつ増えているのである。
 ここが賑わえば賑わうほど、彼らが手塩にかけたそれをしっかりと受け継げている実感を得られるし、何より皆が微笑みながら花壇を見に来てくれることが、ひどく嬉しくて、たまらなかった。
 私は、すっかりきれいに咲いた花々に目をやって微笑む。鈴蘭、かすみ草、花一華……もちろん、色とりどりのスミレもある。
 可憐なスミレは私たち夫婦にとって唯一無二のもので、復興を進めている領地内にもたくさん植えつけていた。近頃はガスパールの領花はスミレだ、なんて言う領民までいるくらいだ。
 この花を見ると、かつての出会いや数多の苦楽がすぐに思い出されて、私はたちまち幸せを感じることができる。
 私がここしばらくの日々に思いを馳せていると、土の様子を見ていた彼はすっくと立ち上がり、私に向かって泥だらけの手を差し出した。

「今日はこのくらいにしておこうか。もうすぐ弟たちも帰ってくるだろうし、夕餉の準備もしておかないと」
「ええ、そうね。昨日はほとんどあなたに任せきりになってしまったから、今日は私も手伝うわ」

 私はすっかり茶色くなった彼の手に手を重ね、並び立つように膝を伸ばす。
 ガスパールに戻ってきて、私は以前とは比べ物にならないくらいの穏やかな心持ちで、日々を過ごすことができるようになっていた。
 それは他でもない彼の――アッシュという大切な人の存在が、支えがあってくれるからこそである。

 
 アッシュが家督相続を認められてから、もう半年は経つだろうか――その間、私たちを取り巻く環境は劇的な変化を遂げた。ガスパールの領主夫妻として送る毎日は想像以上に過酷であるし、上を下への大混乱で、目まぐるしく過ぎていく。
 しかし、息つく暇もないくらいの日々は疲れ以上の幸せを与えてくれるし、今の私にしてみればむしろひどく満ち足りたものだと、満面の笑みで答えられてしまうだろう。
 なぜなら、どれだけつらく苦しい日々であったとしても、隣にはアッシュの存在がある。幼い頃よりずっと胸の奥に咲いていた温かい花のような人が、無二の夫が一緒にいてくれるのだから、弱音なんて向こうから泣いて逃げ出してしまうくらいなのだ。
 私は今、両手に抱えきれないくらいの幸せを謳歌しながら生きている。ついぞ感じたことのない澄んだ気持ちは彼の存在によりもたらされたもので、この頃の私は生まれたばかりの赤子のような心を取り戻し、まるで少女のような気持ちで――かつての閉塞した日々を取り返すように――この町の穏やかな風を感じながら日々を送っている。
 ガスパール城の主として、領主であるアッシュの妻として過ごすうち、肩書きや立場はすっかり大人のもに変わってしまったはずなのに、精神面ではまるで子供に返ったようなふうであるのだ。
 アッシュという陽だまりの下、心の奥に張っていた氷はもうすっかり溶けきって、まるで花々を恵み育てる朝露のよう。長い冬はもうとっくの昔に過ぎ去り、今は芽吹きの春を迎えている。
 あたたかな陽だまりも、優しい春も、可憐な花も。それらすべてをもたらしてくれるアッシュのことが、私は本当に大好きで――そして、波瀾の末に得た今の生活を、ずっと大切にしていきたいと決意を新たにしている。

 
「――ねえ、アッシュ」
「なあに?」

 私が言うと、アッシュはうんと優しく目を細めながら私のことを見る。一挙手一投足、吐息のひとつに至るまで愛にあふれた彼の所作は、時おり胸が苦しくなるほどだ。

「私ね、あなたのことが大好きよ。これからも、二人で頑張っていきましょうね」

 言いながら、少しだけ背伸びをしてアッシュの頬に口づけを落とす。
 不意打ちをしかけるたび、アッシュはいつも照れたようにはにかむ。その顔を見ると、私は言いようのない愛おしさで胸がいっぱいになるのだった。

 
  ◇◇◇
 

 戦後、アッシュは騎士の位に叙され、後継者のいなかったガスパール家の家督相続を認められた。若く経験の浅い城主は時に民からの反発も多かったが、苦難にぶつかる彼の心が折れなかったのには、妻であるウィノナの存在が大きい。
 彼らはお互いをよく助け、よく愛し、尊重しあった。どれほどの激務であろうと片時も離れずに過ごした二人は、いつしか仲睦まじい夫婦の代名詞となるほどであったという。

 
これにて終わりです。長らくおつきあいくださってありがとうございました!
2022/09/27