まばゆい記憶

 アッシュはきっと、本来ならば薄くかがやく瞳を持っている人なのだろうと思う。置かれている境遇のせいで暗く濁っているだけで、元来はもっと眩しく、清らかな人間であるのだろうと。
 私は、一度でいいからまばゆいアッシュのすがたを見てみたいと思っていた。薄暗い影にいるでも、こそ泥のような真似をするでもない、彼本来のあるべきかたち。ただひたすら上を向き、煌々と照りつける太陽のもとで、それに負けないくらいの赫々たるすがたを、いつかこの目に映したかった。
 そしてきっと――そのまばゆくも清廉な佇まいで、汚らしいこの私を焼き切ってほしかったのだ。

 
「――ウィノナ、きみって本当にすごいんだね……!」

 かつてないほどその瞳を輝かせ、興奮冷めやらぬといった様子で私に目を向けるアッシュ。双眸の輝きは以前読んだ本に出てきたくさび石にそっくりで、まるで夢心地のような気分にさせられる。
 おとぎ話に出てくる、宝石箱のような景色。ただアッシュが笑っているだけなのに、私はまるで宝物でも手に入れたような独特の高揚感を得る。足元がふわふわと浮いたように軽くて、どこか足元がおぼつかない。
 もっとも、それはつい先刻おのれがやらかしたことに対する興奮も手伝って、のことだろうけれど。

「べつに、大したことはしてないわ。むしろ、あなたの機転のほうがほめられるべきよ」
「そんな……えへへ、僕は慣れてるだけだから」

 いつもなら沈んでしまうであろう言葉にも、今のアッシュは少しだけ誇らしげなふうに返す。興奮状態とは、まるで麻薬のように思考を麻痺させてしまうのだと知った。

「それにしても、ウィノナの力ってほんとうにすごいね。あらためて見て、僕、おもわず見とれそうになっちゃったよ」
「もう……おおげさなんだから」

 軽口を叩き、にんまりと笑いあってから。私たちはもつれそうな両足を必死に動かして、さっきまで動きまわっていた戦場から逃げるように去ってゆく。……もちろん本物の戦場ではなく、少し大きいだけのただの市場だ。
 両手でやっとなくらいに大きな麻袋を抱え、息が切れるのも気にしないで市場から遠ざかっていく私たち。町の中を通り抜けて人混みに潜ったあと、迂回するために郊外へと出て、近隣の林にやってきた。ほんの一瞬振り返ってみると、そこにはもはや蟻のように小さくなった人混みが見えて、追手の気配もないことから、今回の任務が無事に成功したのだと人知れず胸を撫で下ろす。
 私たちは――否、私はこの日に、初めて盗みを働いた。初めてアッシュと共に外に出て、広い世界をこの目に焼きつけて、解放的な空気を吸って――そして、彼のお仕事を手伝ったのだ。
 罪悪感のたぐいはない。私は自分が間違ったことをしでかしたなどと、露も思っていないからだ。これはアッシュや彼の家族が生きるために必要なことだし……もちろん、だからといってアッシュに責任転嫁するようなつもりは毛頭ない。私は私の意志で、他でもない私自身の判断で彼のお仕事に協力したのだ。
 とはいえ、当の私は良くてもアッシュのほうがうまく整理できずにいたらしく、しばらくは罪悪感で死にそうな顔をしていたけれど……あれやこれやと軽口を叩くうちに少しずつそれも和らいでいって、万事が成功した今となっては、満足げに笑ってくれるほどとなった。
 ――ずっと、この顔が見たかった。アッシュには、こうやって眩しいくらいに笑っていてほしかった。たとえこの手が汚れたとしても、そのせいで他の誰かが泣くことになったとしても、私はこんなふうに、否、これ以上にもっともっと、彼の笑顔を守りたかった。
 なぜなら私にとってのアッシュは、この狭い世界で知る誰よりも何よりも、特別な人だったから。

 
「――あ、いたっ」

 ふと、手のひらに鋭い痛みを感じて私は思わず声をあげた。先ほど爪を立てて傷つけていたことに加え、お仕事の最中に下手をやってしまったのだろう。私の手のひらは知らぬ間に血まみれになっていた。

「えっ……ウィノナ、だいじょうぶ? すごい血だよ」
「……もんだいないわ。もとはといえば自分で傷つけてしまったのだし……放っておけばなおるわよ」
「ダメだよ! こういう傷からひどいびょうきになったりするんだから――」

 言って、アッシュは麻袋に紛れ込ませていた布を破り、応急処置をはじめた。その手際は思ったよりテキパキとしていて、おそらく彼が弟妹に、ひいては自分自身のために何度も処置してきたのだろうことが窺い知れる。

「それから……ええと。いたいのいたいの、とんでけ~っ」

 今度は、まるでおまじないのように私の手を両手で包み込んで、そんなふうに言ってのける。ただの気休めだとわかっていても、端々からアッシュのあたたかさや優しさが伝わってくる気がして、じんわりと胸が熱くなった。
 ――うちの母親は、こんなことをしてくれるような人ではないから。

「よし、これでだいじょうぶなはず……だけど、やっぱり心配だな。一度うちにきて、ちゃんとあらっておこう」
「あ……ええ。そうね」

 度重なるアッシュの厚意に、素直に甘えることにした。
 幸いにも太陽はまだまだ高いところにいて、時間に余裕があることが窺えた。最近の母は前にも増して帰りが遅くなっていたし、この麻袋をアッシュの家まで運んでいきたいと思っていたからむしろ好都合だ。
 市場から抱えて帰ってきた、麺包を中心に食材を詰め込んだ麻袋。私のような怪力や大人ならばなんてことない重さであるが、アッシュのように非力な子供が抱えていくには少々骨が折れるだろう。
 アッシュは自分で運ぶと言って聞かなかったが、ならば一度試してみろと麻袋を渡した途端、すぐに意見を曲げたのはほんの少しだけ面白かった。無駄なあがきをしないのは、ひときわ好きなところだった。

 
やっと続きを書き始めた
2022/07/30