曇天のセカイ

「つ、つかれた……っ!」

 最終公演が終わり、お客さんのいっさいが見えなくなった、直後。私は衣装を着替える余裕もなくその場に倒れ込んだ。仰向けの状態で見上げるワンダーステージの天井はいつもより高く、広く、ぼろっちく感じる。

「たまちゃんっ、お疲れ様! すっごくすっごく、わんだほーい! なショーだったね!」
「う……ま、まあ……そう、だね」
「ほえ……たまちゃん、もしかしてあんまり楽しくなかったの?」
「そういうわけでは……」
「答える余裕がないだけじゃない? たま先輩、今回が初めてだったんだし」

 わらわらとやってきたえむと寧々が、私を囲うようにして座り込む。私より年下なはずの二人はなぜだかけろっとしていて、これには経験の差というものをまざまざと見せつけられた気分になる。
 私よりも年下で、体だって小さいのに――えむなんかは飛びまわる余裕すらありそうなくらいだし、寧々も静かにしてはいるが疲れきった様子もない。
 ――私には、やっぱり向いていないのかな。なけなしの自信をすっかり打ち砕かれながらも、まだまだ元気な二人のことを心のなかで尊敬した。

「お疲れ様、玉村くん。初めてのショーにしてはなかなかだったよ」
「ああ! 特に最終公演の藍の乙女の動きといったら……! えむや寧々、類も最高だったな! 今日も本当にすばらしいショーだった」

 もちろん、尊敬しているのはこの二人も同じ。
 舞台の上から見るワンダーランズ×ショウタイムの面々はとても輝いていて、格好良くて、美しくて。一気に目を奪われると同時に、みんな私とは違う世界の人間なんだな、と心のどこかで納得してしまった。
 ――やっぱり私は、影に隠れて然るべき存在なのだろうか。疲労感も相まって、再び後ろ暗い思考に心を支配されそうになる。

「さてみんな、片づけも粗方済んだし、そろそろ着替えて帰るぞ! ……輝夜、おまえも動けるか?」
「あ……んん、大丈夫。……多分」

 ぼうっと思案に耽っていた私を、天馬のひと声が現実に引き戻してくれる。優しく微笑む彼に手を引かれながらゆっくりと起き上がり、えむや寧々とともに更衣室へ向かった。
 蓄積した疲労のせいで着替えにまごつく私のことを、二人とも何も言わずに見守ってくれる。ボタンひとつ止めるのにも時間がかかる自分が少し情けないが、きっと今夜はよく眠れるだろうなどと場違いなことを考える余裕は残っていたらしい。最後の挨拶を済ませ、それぞれがそれぞれの帰路につく。
 私は、なにやら諸用があるという天馬と共に夕暮れの街を歩いた。いつかに見た夕焼けよりも赤く照らされる天馬は、相変わらず目を焼きそうなほどに眩しい。
 あまり弾まない会話を挟みつつ、もうすぐ駅につくくらいの頃。天馬は、何かを思い出したように口を開く。

「そうだ、輝夜。気づいていたか? 今回の公演で使った王子の衣装、このあいだお前が直してくれた鎧をアレンジして作ったんだ!」
「え……あ、言われてみれば、確かに。なんとなく見覚えがあるなーと思ってたけど、そういうことだったわけ……?」
「ああ、せっかくなら使わせてもらいたいと思ってな。もちろん皆に許可はとってあるし……それに、子供たちからの評判もすこぶる良いんだぞ。アンケートに『王子様の衣装が格好良かったです』との意見が相次いでいたそうで――」

 天馬がすらすらと述べるのは、いかにあの衣装が素晴らしかったか、という賛辞。
 アンケート結果はもちろん、えむたちキャストからの評判、何よりそれを身に着けた天馬本人からの言葉は私の胸に染み渡るような感覚をおぼえさせ、やがてじんわりとあたたかくする。ついさっきまで私を覆っていた暗い考えを、すっかり払ってしまうくらいには。
 ――役に、立てているんだな。天馬からの生の声を聞き、誰かが喜んでくれる、笑ってくれているという事実を改めて実感できて、自然と頬が緩む。
 たとえ地味な仕事でも、直接誰かの目に留まることのない、縁の下の作業だったとしても。自分にとって大切な人が、みんなが輝くための力になれるのならば、それはそれでいいのかもしれない。――そんなふうに思えたのは生まれて初めてで、自分の思考の変化に少し驚く。
 彼らと同じ場所に立ちたい、スポットライトの当たる存在になりたいと、今までずっと心のどこかで願っていたけれど、このままでもいいのかな、それも「私」を構築するひとつなのかな、なんて、初めて私を見つけてくれた、彼の言葉でそう思う。
 たとえ自分が影にまわることになっても、誰かを笑顔にすることはできる。人を喜ばせる行為におのれの立ち位置なんか関係ないし、もちろん、無理をする必要だってない。私は私のやれることで、たくさんの人を笑顔にできる。色んな人の心に、花を咲かせることができる――
 今までどこかいじけたようであった気持ちが、ゆっくりと晴れていくのを感じる。曇天のセカイに太陽が顔を覗かせ、陽光がすべてを照らしていく。
 その光が可視化されるとしたら――それはきっと、ここにいる天馬司の存在そのものだ。

「ふふん、どうだ輝夜! 初めてのショーは楽しかったか?」
「うん? ……ふふ、そうだね。すっごく楽しかったし、色々と学ぶこともあったな」

 ――ありがとうね、天馬。
 私が素直にそう言うと、天馬は急に目をそらし、珍しくもごもごと口ごもった。なんとなく赤くなったような頬を目で追おうとした刹那、それを阻むように聞こえたのは、聞き覚えがあるようなないような、何処からの電子的な声だ。

『こんにちは、司くん! どうやら、新しい仲間を見つけたみたいだねっ』

 
2022/02/26
2022/09/01 加筆修正