綻ぶようにうなずいて

 ぼくが最低な言葉を吐いた途端、マリィは澄んだアイスブルーを大きく見開いた。え、と口を押さえる動作もただひたすらに愛らしくて、けれど、とんでもないことを仕出かしたという後悔も生まれて。結果、一瞬で周りの喧騒が無音と化す。
 人もポケモンもごった返す往来……の、傍らにあるベンチのくせに。ぼくたちはまるで、お互いの鼓動の音さえ聞こえそうなほどの沈黙に包まれた。
 まるで永久にも感じられる、ぼくたちだけの静寂。痛々しいそれを破ったのはもちろんこんなぼくではなく、ひどく勇敢で直向きな、かわいいマリィのほうだった。

「わ、かってる、くせに――」
「うん?」
「ラベンダーさん、ほんとは、全部わかっとるやろ。あたしの気持ちとか、そういうの」

 ぐじゅ、と滲むようなマリィの声に、ぼくの心はいやなおとを――けたたましく鳴り響く警鐘を、耳鳴りがするほどに轟かせた。
 ぼくは、マリィから向けられている好意にずっと昔から気づいている。幼い頃から健気な恋心を注いでくれていることも、ちゃんと知っている。きみが浮気で移り気な子ではないことも、ひどく一途で、愛にあふれた子であることも。きみと出会ってからの決して短くはない期間で、ちゃんと、全部理解している。
 だからこそ驚いたのだ。自分の口から、あんなふうな言葉が出たことに。

「そう……だね。そのとおりだ。ぼくは、マリィがぼくのことをどう思ってくれているか、なんとなくだけどわかってる」
「じゃあ! ……なんで、そんなこと聞くん」
「それは――」

 マリィの瞳が、ぐずりと潤む。今にも泣きそうなふうに、ゆらゆらと瞳が揺らめく。陽射しがアイスブルーをいっとう煌めかせて、ぼくの一番好きなマリィの顔が、突如として目の前に現れた。
 ……悲しませたくは、なかったのに。ぼくは――ぼくだってマリィのことがとても好きで、大切で。だからこそ大好きなこの顔を見るべきではないと、この顔だけはさせまいと思っていたのに。そんな誓いもすべて忘れて口からはみ出た先の言葉は、きっとこのぼくがあまりにも未熟な、愚か者であることの証左だ。
 ぼくにはぼくの世界があって、マリィにはマリィの世界があって。それは交わることこそあれ、決して同じものではない。マリィがぼくの人となりに詳しくないように、ぼくだってマリィのすべてを知っていられるわけじゃない。それはひどく当たり前のことで、以前ネズと似たような話だってしたのに。
 それなのに、ぼくは。この情けないぼくという男は、ぼくの知らない言葉を吐いて、ぼくの知らない顔をするマリィを前に、人知れず心を乱してしまった。胸のうちがぎゃあぎゃあとうるさくなって、目の前が眩むような心地がした。見たくない、消してやりたい、はやく二人だけの空間に戻りたいと、そんなことを考えそうになった。
 年下の男の子相手に、ここまで後ろ暗いことばかり考えてしまったぼくは――誰よりも情けなくて、未熟な、ただのモンスターのようだ。
 けれど、ここで隠すのはあまりにも不義理だ。ぼくはマリィを悲しませたいわけではないので、おのれの保身とマリィの満足ならば、迷わず後者を取る。たとえ、その果てにどんな苦痛が待っていたとしても。

「嫉妬した……から。かな」
「え……」
「きみが、マサルくんと楽しそうに話していて。ぼくには絶対に見せてくれないような顔をしていたものだから」
「――」
「ああ……気づいていなかったかい? ぼくだって、きみのことが好きなんだよ。もちろん女の子として……きっと、きみが思っているより何倍も、ね」

 泣きそうな顔から一変、マリィはさっきよりも大きく目を見開いて、そして、耳まで真っ赤にしながら挙動不審になっている。頬を押さえて、視線を彷徨わせて。あわ、と言葉にならない言葉を吐きながら、とうとうぼくに背中を向けるまでとなってしまった。
 うそだ、うそだ、とちいさくつぶやく背中からは、おそらく何にも気づいていなかったのだろうことが察せられる。

「……ネズには、結構バレバレだったみたいなんだけどな。多分、妹も察していたんじゃない?」
「え、ええと……! そう、リナリアにもそんな感じのこと言われとったし、あたしももしかして……って期待しとるところはあったんやけど、いざ本人に言われると、衝撃が大きすぎて……っ」

 本当に戸惑っているのだろう、普段からは想像もつかない早口で、マリィは心情を吐露し続ける。
 どうしよう、どうしよう、そんなふうに慌てふためく様子は恋する乙女そのもので、ぼくのなかにあった罪悪感を洗い流し、ひどく微笑ましい気持ちにさせた。
 けれど、それでなあなあにするわけにもいくまい。マリィには……マリィとネズにだけは、ぼくはきちんとまっすぐに、向き合いながら生きていきたいのだ。

「……ごめんね、マリィ。いきなり変なことを言ってしまって」
「えっ、な、何が……?」
「色々と。きみを困らせるようなことばかり言って、情けないな」

 しおらしげな声で言うと、マリィはやっとこちらを振り返って、その可愛らしい顔を見せてくれた。陽射しのせいなのか否か、真っ赤に火照った顔はそのままに、けれども表情はいつもどおりの落ちついたマリィのそれに見える。
 マリィは、小さく深呼吸をして。ふるふると首を振りながら、大丈夫! と言った。

「あたし、嬉しかったから。ラベンダーさんがヤキモチ妬いてくれたことも、す、好きって、言ってくれたことも」
「ほんとうに?」
「もちろん。その嬉しいのがふたつもあるけん、他のことなんか気にならんよ」

 ねっ、と少し口角を上げるマリィ。気を遣わせただろうか、と思いはすれども、ここでそんなことを気にしていたら恥の上塗りに他ならない。
 ぼくはマリィの優しさに甘えるかたちで、改めて彼女の手をとる。気を取り直して、いつもどおりに笑って、そして。

「じゃあ……そろそろ、再開しようか。ぼくたちの『デート』を、ね」

 ちいさくて白い手の甲にキスを落としながらそう言えば、マリィは綻ぶように笑って頷いたのだった。

 
多分これで終わり。お疲れ様でした
2022/04/14