瞳の奥に想うもの

「ラベンダーよ、おまえはマリィのことをどう思っているんです」

 スパイクタウン郊外にて、やけに群がってくるジグザグマをよけながら、ネズは事もなげにそう言ってみせた。妹の恋愛事情に首を突っ込むのはナンセンスだな、と以前二人で話しあったばかりなのであるが、このタイミングでそう切り出してくるということは、おそらく彼なりに考えがあってのことなのだろう。
 親友の言葉を受け、ラベンダーは顎に手を当てながらじっくりと考え込む……ようでいて、実はその動作もただのポーズに過ぎなかった。彼には既に自覚がある。親友兼ライバルの妹にただならぬ感情を抱いている、その明確な自覚が。

「わざわざ訊かなきゃわからないことかな」
「確認しておきたいのですよ、おまえの口からちゃんとね」
「ああ……なるほどね、一縷の望みに懸けたいと」

 白と黒、タチフサグマを思わせるようなモノトーンの前髪に隠されて、ネズの表情はよく見えない。思えば彼は気まずい話をするたび左側に立とうとしていたなと、決して短くない彼との付き合いで学んだ小さな癖を頭の隅から掘り起こした。もしかすると彼なりの気遣いであるのかもしれないが、実のところラベンダーに対してそういったものの効果はいまひとつなのである。
 なぜなら彼は人よりも神経が図太く、そしてほんの少しだけ、感性というものがズレていたから。

「ネズはどう言ってほしい? 『マリィのことは大切だよ、でもそれ以上じゃない』って返すのがパーフェクトかな」
「茶化すのはやめなさい」
「はは、ごめんって。でも……そうだね、きみが思っている通り、いや、きみの予想以上に、ぼくはマリィのことが好きだと思うけど」

 ラベンダーは目を閉じて、初めてマリィに出会ったときの――彼女に特別な想いを抱いた、あの日のことを思い返した。
 彼女のことを知ったのはもう何年前になるか。そもそもの発端は若かりし頃のジムチャレンジの最中にネズと知り合ったことであり、その過程で度々顔を合わせては研鑽を積み、バトルを繰り返し、そうしてとても仲良くなった。終盤には彼の故郷であるスパイクタウンへと足を運び、その際に幼い妹がいるのだと紹介を受けたのだ。
 まだまだ人見知りで泣き虫だったマリィは、初めての顔であるラベンダーと、彼の連れていたバタフリーを見るやいなや兄の後ろに隠れてしまい、少し近づけば今にも泣きそうなほどに顔を歪める始末であった。透明感のあるブルーの瞳がアメだまのようにじわじわと形を変えていく、その刹那的な魅力にひどく魅せられたことを、今でもハッキリと覚えている。
 ラベンダーは知っていた。あれから何年も経った今、マリィから少なからず好意を向けられていること。それが真っ当かつ不器用な恋心であるということも、おのれが彼女に抱く想いとは打って変わった、清らかなものであることも。ただ、その淡い恋心が良いものなのか悪いものなのかといわれたら、そこの判断はネズに任せたほうがいいであろうと考えている。だからこそ今もラベンダーはマリィからの好意の受け止め方に迷っているのだ。
 ネズが真面目な常識人であるということは少し接すればわかることで、ゆえにラベンダーは彼に信頼を置いているし、強い親愛を覚えている。異なるものに惹かれるのは人間の、いや、ポケモン含む生き物の性というものではないだろうか? おのれが人とは違う考え方をしていて、外見からは想像できないほど異常な精神を持っているという自身の特性を、ラベンダーは少なからず理解しているのだ。

「ぼくはさ、マリィが大人になるのがイヤなんだよ。あの子が強くなるのがイヤだ。ぼくはあの子の泣いた顔が好きで、傷ついた顔や怯えた顔、感情を露わにしたような表情を見るのが好きなんだ。初めてあの子を好きだと思ったのが、あの子の泣きそうな顔を見たときだからね」
「……予想以上のヤバさですね」
「だろう? でもほら、あの子は今どんどん強くなっている。ポケモンバトルはもちろん、大きくなって情緒や感情のコントロールが上手になってきているんだ。ぼくはそれがイヤなのさ。笑っているマリィも、幸せそうなマリィも、どんなマリィだって好きだと思う自信はあるけど、一番好きなあの子の顔がなかなか見れなくなるからね」

 ネズのことを信頼している。だからこそ包み隠さずおのれの心情を吐露しているのだけれど、ラベンダーは心のどこかに諦めの気持ちも持っていた。さしものネズであったとしても、大事な妹に危険な想いを抱いている男が近くにいると知ったら、そしてそれが親友と呼ぶに相応しいほど親しい人間であるとしたら、むしろ彼自身のほうこそ傷ついてしまうのではないかと。妹を守るため、おのれの心を守るため、ラベンダーと縁を切ろうとするのではないかと。そう思われても仕方のないことを宣った、その認識がラベンダーにはあった。
 顔が見えないことをこれほど恨めしく思ったのは、きっと今日が初めてであるだろう。

「――そうですね、思わず絶句してしまうほどでしたけど……まあ、おれはおまえのことをそれなりに信頼していますから」

 だがネズの口から出たのは否定や拒絶の暴言ではなく、むしろラベンダーを許すような言葉だった。相変わらず彼の顔は見えないままであるけれど、思わず後退りしたせいでラベンダーの動揺のほうは伝わってしまっているだろう。
 ネズは再び口を開いて、ゆっくりと心情を吐く。その呼吸は落ちついていた。

「おまえがどれほどの覚悟を持ってこの件をおれに打ち明けたのか、その程度もわかっているつもりです。どこのポニータの骨ともわからない輩が同じことを言ったとしたら、今すぐ尻でもシバいてお引き取り願うところでしたけど……おまえは自分の欲求のため、わざわざマリィを傷つけるようなバカな男ではないでしょう」
「ネ、ネズ……きみは、その」
「もちろん、仮に事故でも泣かすことがあったら、承知はしてやりませんがね」

 ようやっとラベンダーのほうを向いたネズは、相変わらずの辛気臭い顔でもってラベンダーを見つめてきた。「きみのそれはメイクなのか隈なのかどっちなんだ」と遠い日に訊ねたこともある暗く沈んだ双眸は、けれどあの日に歪んだマリィの瞳と変わらぬ澄んだ色をしている。嘘はついていない目だ。ラベンダーは自分自身が呼吸のついでに嘘をつくような卑劣な男であるがゆえ、他人の目や仕草を見ればそれが嘘なのか真実なのか、そのあたりをなんとなくだが見抜くことが出来る。
 ネズはあまり嘘を好まない、ひどく真面目な性分である。それは彼がダイマックスに頼らない正々堂々としたバトルを好むところにも現れているし、さっきからわらわらとひっきりなしに近寄ってくるジグザグマたちも証明していた。もちろんダイマックスが卑怯だなんだというつもりは毛頭なく、現に彼は自分のスタンスを他人に押しつけるような真似は一度もしなかった。
 意志が強く、真面目で気遣いのできる男だ。郷土も、家族も、ポケモンも、仲間も、かけがえのないものたちをこれほどまで大切にできる人間を、果たしてどんな人間が「信用できない」と言うのだろう。

「ああでも、嬉し泣きなら許してやらんこともないですよ。週一くらいでお願いしたいですが」
「週一……週一かあ。週一は難しいかもなあ……」

 親友の深い深い温情を受け、ラベンダーは観念したように眉を下げて笑うのだった。

 
20201023