つかの間のワイナリー

「ハーネイア。これを君に」

 隣に腰掛けるディルックが小瓶を差し出してきたのは、錬金ショップから帰ってきて、つかの間の休息時間を共に過ごしていたときだ。
 やさしく手のひらに乗せられたそれは、昼間に目にした錬金薬の数々によく似ている。愛らしい猫の形をした瓶はハーネイアの関心を奪うにふさわしく、何より首の部分に添えられたセシリアの花を模した飾りが、彼女の視線を釘づけにした。
 わあ、と感嘆の声を漏らすハーネイアに、ディルックは柔らかく微笑みながら言葉をかける。

「さっき、旅人に作ってもらったんだ。君が栽培エリアのチェックを頑張ってるあいだにね」
「えっ……あ、えと、ありがとうございます! でも、どうして――」

 プレゼントの理由について、何も思い当たる節はなかった。二人の誕生日はもちろん、記念日というわけでもないし――戸惑いを隠せないまま、手渡された小瓶をゆらゆらと踊らせてみる。
 猫の形をしたガラスの内側には瑞々しい水色と黄緑のグラデーションが揺れていて、ワイナリーの照明を通すとその輝きはひときわに強くなった。ちいさな水面が揺れるたびにディルックや旅人の思いやりが伝わってきて、じわりと胸があたたかくなる。
 噛みしめるように再び感謝の言葉を伝えると、ディルックはちいさく笑みをこぼして言葉を続けた。

「近頃、君はワイナリーでの仕事をよく頑張っているだろう。うちの業務に興味を持ってくれるのはとても嬉しいけど、根を詰めすぎてもよくない。だから、旅人にリラックス効果の高いものを作ってもらったんだ」

 言いながら、ディルックはハーネイアの手からポーションを拝借して封を切った。途端、全身を柔らかく包むような花の香りが広がって、再び声をあげてしまう。
 馴染みある風車アスターや蒲公英の香りに、独特の異国情緒が混じっている――これはきっとスメールローズだ。懐かしさと新鮮さを両立する芳香が鼻腔をくすぐり、ハーネイアは一瞬で夢中になってしまった。

「喜んでもらえたならよかったよ」

 ハーネイアに釣られたのか否か、ディルックの声もいささか弾んでいるように感じられる。
 中身をこぼさないようしっかりと蓋を閉めて、彼により与えられた宝物を強く抱きしめた。胸の奥からあふれる喜びをどうしていいかわからなくて、今すぐにでも飛びついてしまいたくなるのを抑えながら、ぐっと彼の瞳を見つめた。

「う……嬉しい、です。見た目も香りも、わたしの好きなものばかりで」
「当然だ。君のことなら僕が一番よく知ってる」
「はい……えへへ、こんなに素敵なもの、いただいてもいいのかな――っ、ん」

 会話の合間にそっと近づいてきた唇が、ハーネイアのそれをやさしく食んでくる。
 戯れるような触れ合いは角度を変えて幾度も行われ、ディルックの手のひらが後頭部に伸びてくる頃には、ハーネイアの体はすっかり傾いでしまっていた。
 叶うならそのままずっと触れていてほしかったけれど、残念ながらディルックの本日のスケジュールはすでに埋まってしまっている。このひと時は予定の隙間を縫ってなんとかひねり出しているだけで、時間が来ればまた彼のことを見送らねばならないのだ。
 ……ちゃんと、我慢しなくちゃ。縋りつきそうな手のひらをなんとか抑え込んで、離れていくディルックのことを見つめるだけに留めたが――視線に感情が乗りすぎていたのだろうか、彼はちいさな咳払いとともに、「あまり見つめてくれるな」とつぶやく。

「できるだけ早めに切り上げてくるよ。そうしたら、この続きをしよう」
「う……す、すみません。わたし、はしたない真似ばかりで」
「構わない。僕だって、君がほしいという気持ちは同じだ」

 ささやかな笑みをひとつこぼして、ディルックはハーネイアの頬をひと撫でしてから立ち去った。
 途端、室内はまるで心臓の鼓動が聞こえてきそうなくらいに静まり返ってしまう。ぱたん、と無機質に閉まる扉をなおさら名残惜しく思いながら、ハーネイアは再び手元の瓶へと目を向けたのだった。

 
2024/03/25