わたしに遺された一年

「重雲っ、お誕生日おめでとう! だーいすき!」

 ばむ、と正面から抱きつくと、重雲はいつも涼やかにしている瞳の凛々しさをまんまるに溶かす。無防備かつ素直なその表情が、わたしはひどく好きだった。

「おい、桃琳! いきなり抱きつくのはやめろっていつも……!」

 口ではなんとか言いつつも無理やり引き離すようなことはしない。それは彼の持つ優しさであり、わたしはいつだってその美徳に甘えきっている。
 視線の下にある重雲の顔を覗いてみると、彼はそのまるい頬をみるみる赤くしていて――そのいじらしさもまた、彼にたいする愛おしさを掻き立てるばかりであった。
 ……さすがに勘弁してやるか。わたしがしぶしぶ距離をとると、重雲は真っ赤な顔を隠すようにそむけ、なんとか平静を取り戻そうと深呼吸を繰り返している。

「えへへ……ごめんね、重雲。わたし、あなたの顔を見ると全然歯止めが利かなくなっちゃって」
「む、……っ」

 ――あ。また赤くなった。
 重雲は本当に素直だから、こうしてわたしが何かするたびに可愛い顔を見せてくれる。わたしは重雲の一挙手一投足が可愛くってだいすきで、たとえ嫌がられていたとしても、その反応ですら愛おしくってたまらないのだ。

「ま……まったく、こんな朝っぱらからどうして……桃琳がこんなに早起きするなんて珍しいんじゃないか? いつもはもっとゆっくりしてるだろ」

 重雲の声に呼応するがごとく、朝を告げる鳥たちがさえずりをはじめた。ちちち、と鳴くそれは耳馴染みが良く、璃月の乾いた風も相まって、ひどく心地よい気分にさせてくれる。
 
 時刻は午前六時過ぎ、ようやっと空が明るくなってきたくらいの頃合いだ。真面目な重雲はいつも早寝早起きで、毎日の鍛錬のためにこうして早朝から活動を始める。眩しい朝焼けは色素が薄い重雲のまつげをきらっきらに輝かせて、夜泊石に負けないくらいの美しさをまとわせていた。
 重雲の言うとおり、わたしはあまり早起きが好きではないのだけど――そのわたしがどうしてこんな早くから起きているのかといわれたら、それは今日が誕生日の重雲に誰よりも早く「おめでとう」を伝えるためだ。もちろん家族から何かしらの祝辞は与えられているだろうけれど、身内ではない他人のなかでは絶対にわたしが一番が良かった。今日は行秋や香菱たちが重雲のための誕生日パーティーを開くと知っていたから、チャンスは今しかないと思ったのだ。
 とはいえ、重雲はわたしのそんな思惑なんていっさい知らない。うん、むしろ知らないほうがいい。わたしが重雲に向けている感情の数々は純粋で素直な彼に打ち明けるには憚られるものだし、できれば墓場まで持っていきたいと思っている。わたしは「ちょっと人騒がせなおねえさん」くらいで彼の前を去りたいから。
 ――とにかく。わたしの企みなぞ何も知らないであろう重雲は、珍しく早朝にやってきたわたしに怪訝そうな顔をしながら、ほんの少しだけ距離をとって精神統一をつづけている。あらかた落ち着いたのだろう、最後に大きく深呼吸をしてから、再びわたしに向き直ってくれた。

「えっと……お祝いありがとう、桃琳。……すぐにお礼を言えなくてすまない。ずいぶん驚かされたせいで、頭から抜けてしまっていた」
「ううん、いいんだよそんなの。……じゃあこれ、はい。誕生日プレゼントだよ」
「いいのか? ぼくがもらっても――」
「もちろん! だって今日は、世界で一番だいすきな重雲の誕生日なんだもん」

 ……あ、また赤くなった。重雲はもともと肌が白いから、ちょっと赤くなるだけでもすぐに目立ってしまう。普段から少し頬が染まっているけれど、それでもひどくわかりやすいし、そういうところがわたしはだいすきで仕方ない。
 うう、と唸りながら重雲は深呼吸をして、もう一度「ありがとう」を伝えてくれる。なんとなく居心地が悪そうな雰囲気ではあるが、おそらく純陽の体が暴走しないよう気を張っているのだろう。
 わたしは別に暴走してもいいと思っているけれど、重雲の真面目さは決してそれを許さない。だから唆すことも宥めることもなく、わたしはいつもそれを見守っている。
 とはいえ……今日くらいは助け舟を出してあげたほうがいいだろうか。このあと誕生日パーティーを控えていることも考えて、わたしは彼の気をそらすためにプレゼントについての話をはじめた。

「このあいだ璃月港にスメールの商人が来ててね、香料を譲ってもらったんだ。疲労回復や集中力の増進に効果があるらしくて、きっと重雲の鍛錬にも役立つと思うの」
「う……そ、うか。ありがとう。ぼくのために、たくさん考えてくれたんだ」
「当たり前でしょ? だって、誕生日っていうのはとっても大切なものだもん」

 わたしが言うと、重雲は手渡された紙袋をかさりと鳴らして頷く。
 ――わたしは知っている。自分に残された時間がとても少ないこと。来年の重雲の誕生日をこうして祝える保証というものが、わたしには他の人よりもなされていないこと。
 そして――その事実を、他でもない重雲がつよく実感しているだろうこと。妖魔に蝕まれたわたしの体はひどく弱っているようで、たびたび咳き込んでは倒れ伏すみっともない姿を、わたしの一番近くにいる重雲こそが、誰よりもよく見ているから。

「ねえ、重雲。お誕生日おめでとう。今年も一年、元気に生きていてね」

 わたしが笑うと、重雲はまるで泣きそうなくらいに顔を歪めて、もう一度頷いてくれた。

 
重雲くんお誕生日おめでとう!
2023/09/07