とある静かな朝のこと

朝チュン

 
「その……すまない。また傷を作ってしまった」
 肩に触れる指は震えている。おそらく極限まで力を抑えているのだろう、そんなに気を遣わずとも壊れやしないのにと、ウィノナは小さく笑ってディミトリの手に手を重ねた。
 なだらかな肩には獣と見紛う歯型がついており、ひと晩経った今でもじくじくと、熱を持っているかのような痛みがある。これでも今回はまだマシなほうで、いつかには骨まで届くような惨劇が起きたこともあった。今も敷布に目をやれば、おそらくウィノナのものであろう血痕があちらこちらに窺えるのだ。
 けれどもこれは衝動のまま、欲求のままにディミトリがすべてをぶつけてきた証左でもあり、ウィノナはこうして彼に傷つけられることを悦んでいる節がある。痛みが好きなわけではない。ただ、ひどく雁字搦めな世界で生きている彼が、こうして欲を抑えることなく行為に至っているという現実を、喜ばしく思っているだけだ。
「いやあね、そんな顔しなくてもいいじゃない。傷なんて慣れっこだもの」
「だが、これは俺が……」
「いいのよ。あなたが残してくれたのだから、むしろ消えないでほしいと思うくらいだし」
 昨夜、獣のような一夜を過ごしたのはこの2人だけが知っていること。なんとなく残り香を感じる寝室はひんやりとしているけれど、それでもまだこの寝台のうえには、薄い腹の奥にある胎内には昨夜の熱がこもっている気がして、ウィノナはなかなか起き上がることができずにいた。単純に体がダルいというのもあるが、もう少しだけディミトリの深層を感じていたかったのもある。
 素肌を晒したままのディミトリに、同じく素肌のまま甘えるようにすり寄った。厚い胸板に頬を寄せると、ざらついた傷跡の凹凸と、ゆったりとした鼓動が聞こえる。どちらもディミトリが生きている証であり、彼が歩んできた道の険しさを物語っていた。傷つけるだけ傷つけて、傷つくだけ傷ついた彼の体と心は、触れるたびにこの上ない愛おしさを湧き上がらせる。
 そうしてぺたぺたと彼の体を感じていると、優しく、包むようにディミトリの腕が抱き込んでくる。自分のものと比べたら何倍もの太さがあるそれに、ウィノナは胸がじんわりとあたたまる安心感と、ぞくぞくとした被虐の心の両方を覚えた。
 相反するそのふたつはウィノナという人間を語るに不可欠なものであり、彼女のなかにある双塔のようなものでもある。彼のぬくもりを感じるかたわら、昨夜の蛮行がよみがえった。途中から我を忘れ、獣に堕ち、好き勝手加虐を尽くした愛おしい男による“支配”を。
「……ねえ、ディミトリ?」
「もう一度、は無理だぞ。今日は公務が忙しい」
「ふふ……残念だわ」

 
20200829