四人目の家族

子供がいる

「産後の肥立ちが悪い」なんて言葉は、今までの人生でも何十回と聞いてきタ。それは、たとえばゼークス帝国にいた頃のくだらない喧騒だったり、雑貨屋の店番をしていたときの、なんてことない世間話だったリ。
 当時のオレは「ご愁傷さマ」なんて感想こそ抱けども、そこから特に何かを発展させることはなかっタ。他人の生死に興味なんてなかったし、それを気にする余裕もなかったからダ。自分は自分で他人は他人、そんなふうにはっきりと線引きしたうえで、冷たくて淋しい人生を送ってきタ。
 だから、こうしてあまり体の強くない人間と共に暮らし、愛を育んで、結婚しテ。そして、かけがえのない妻の初産を無事に見守った今、ようやっと彼らの悲痛な叫びに共感することができるようになっタ。
 最愛の妻が、唯一無二の子宝と引き換えになってしまうだなんテ。彼らの悲嘆は、痛みは、哀愁は、果たしていったい如何ほどのものだったのだろうカ。……わからなイ。今のオレには、いつか来るかもしれない「もしも」を想像だけして、背筋を冷たくすることくらいしかできなかっタ。
 もっとも、此度の出産において生死を危ぶまれた張本人は、今もベッドから抜け出そうとするのを引き戻されている真っ最中だったりするのだガ。
 彼女は――ブーケは、産後だなんて想像できないくらいハツラツとした声を出して、友人と看護師からの忠告に反抗していル。

「だーかーら! ブーケったら、まだ寝てなくちゃダメって言ったでしょ?」
「そうよ~? いくら想像より消耗せずに済んだからって、体はちゃんとダメージを負ってるんですから」

 ブーケは深くベッドに臥しながら、二人にがみがみと、それはもうこっぴどく怒鳴られていル。とても優しい、愛のあるお説教だっタ。
 ただ、こうして叱られるのも無理はない話なのダ。彼女は生まれたときから体が弱く、本来なら長生きするのも難しいと言われていたくらいらしイ。だが母の故郷であるセルフィアに来てから奇跡的な回復を遂げ、なんとこうして子供を儲けるまでとなっタ。
 数日前、生まれたばかりの赤子を抱いて微笑むブーケが、オレが思うより何倍も美しく、慈愛に満ちた母の顔をしていたのが、今もこのまぶたに強く焼きついていル。
 とはいえ、いくら一児の母になったといえどブーケは相変わらずブーケのようデ。まだまだ回復しきってない体でむりやりベッドから起き上がろうとしたところ、ちょうどブーケと子供を見舞いに来てくれたフレイとナンシーさんに捕まり、滾々とお説教をされている……というのが、事のあらましらしかっタ。
 オレは少し前に部屋の前にやってきたばかりなので、詳しいことはわからないのだが――二人の言い分を聞くに、まあ、おそらくそういう感じだろウ。

「で、でも、思ったより調子はいいし……」
「それでもダメ! いつ何が起こるかわからないんだから、安静にしすぎるくらいでちょうどいいわよ」
「おばあさまやダグにばかり店番を任せているのが心苦しくて――」
「オレを引き合いに出すのかヨ!?」

 まさかオレの名前が出てくると思わず、つい声を上げてしまっタ。背後から突然聞こえたオレの声に、三人とも一瞬で意識をこちらにやってきタ。
 なぜオレがこんなところでこそこそしているのかと言われたら、それはほんの数分前にさかのぼル。雑貨屋特有の忙しい時間帯も過ぎ去り、なんとか客足が落ちついたので、休憩がてら妻子の様子をうかがおうと二階に上がってきたまではよかったのだガ。あいにくと先約と話し込んでいたらしかったので、落ちつくまでしばらく見守っていることにしたのダ。
 前述のとおりオレの気配に気づいていなかったらしい三人は、まるで弾かれたように一気にオレのほうを見ていル。特にフレイなんかは無言で訴えてくるのだ、「どうにかこのブーケをおとなしくさせてくれ」ト。
 ――仕方ないナ。これがお転婆を嫁にもらった男の宿命なのだと思い直し、オレはゆっくりと深呼吸をして口を開ク。できるだけうやうやしく、やさしげな雰囲気を出しテ。しおらしい態度をとればとるほど、ブーケに効果的だと学んだからダ。

「……店番のほうは心配ない、おまえのぶんはもちろん、ばあさんのぶんもオレがやるかラ」
「でも……」
「ブーケはちゃんと寝ててくレ。……せっかく新しい『家族』ができたのに、いきなり一人減るなんてこと、悲しすぎるだロ。お前が臥せってると調子が狂うし……それに、はやく三人で出かけたりもしたいんダ」

 オレ、お前がいなくなったら今度こそどうなるかわかんねエ――素直な気持ちを吐露すると、ブーケはみるみるうちに顔を真っ赤にして俯いてしまっタ。フレイとナンシーさんは耐えきれずに歓声をあげ、傍らで眠る赤ん坊が一瞬顔を歪めル。
 起こすなヨ! とオレが注意すると、二人はお互いの口を塞ぎながら頷いてくれタ。四つの目はもっともっとと、何かをせがんでいるようであったガ。

「……と、とにかク。なあブーケ、わかってくれたカ? もしわかってくれたなら、頼むからおとなしくしててくレ」

 オレがそう言うと、とうとうブーケは顔を覆ったまま、こくこくと首を動かしたのだっタ。傍らに眠る赤ん坊は、ひどく安らかな顔で、おだやかな寝息を立てていル。

 
2022/05/11