仲良きことは美しきかな

「あ、ねえ! フレイさん、ダグさんの話知ってる?」
 自室から出てきて、直後。ドアをくぐった目の前をちょうど通りかかったらしいキールが、明るく話しかけてくる。
 相変わらずの愛らしい笑みは見る人の毒気をすっかり抜いてしまうようで、さしものフレイも彼の前では深く突っ込むことができなくなってしまうのだ。もちろん、それこそが天真爛漫を地で行くような彼の魅力であるのだけれど、時おりその朗らかな様子に振りまわされる人を見るのが玉に瑕といったところか。
 まあ、今この場に玉だの瑕だのといった不躾な話題は相応しくない。雑念をはらいながらなあに、と優しく返してやると、キールはわくわくした様子でなめらかに舌を動かした。
「あのねー、さっきダグさんがブーケさんを抱っこして病院に駆け込んでたんだけど」
「ダグがブーケを? ……もしかして、また無茶して倒れちゃったのかな?」
「多分そうだと思う。城門の向こうからやってきたみたいだから」
 つい、と指差すのはセルフィア平原の方角だ。城門を越えてしまえばそこはすぐ平原が広がっていて、モコモコのような温厚なものからオークのように好戦的なものまで、多種多様なモンスターが闊歩する無法地帯である。
 もちろん帝国領やルーンプラーナに比べればまだまだ可愛いものなのだが、それでもブーケのように体の弱い人間からすればそれなりの歯ごたえがある場所だろう。現にブロッサムはほとんど城門の外に出ようとはしないし、観光客たちも身を寄せあってセルフィアを訪れてばかりだ。
 とはいえあのブーケは一筋縄でいくような娘でもなく、カッキーンを片手にイドラの洞窟あたりまで平気で足を運んでしまうのだけれど……彼女のお転婆具合を目の前にすると、ダグやブロッサムの心労は計り知れないものだろうと思ってしまう。
 もっとも、キールいわくその「心労」や「心配」の様子が、近ごろ少し変わってきているらしいのだが……?
「最近ね、ダグさんの顔がいつもとちょっと違うんだ。文字通り血相変えてるっていうか、ものすごく必死っていうか。この前なんか汗だくで病院に飛び込んでドルチェさんに怒られてたし……ブーケさんが無事ってわかったときには、その場にへたり込んでたんだよ」
「キールくん、ダグのことよく見てるんだね?」
「友だちだしね。あとは……えっと、僕もあんまり体が強くなくって、特に小さい頃なんかはお姉ちゃんにいっぱい迷惑かけたから、つい気になっちゃうんだと思う」
 少しばかり遠い目をして高い青空をあおぐキール。鳥の群れを見送る彼は、普段の明るさが少しだけかくれんぼしているようだった。
 幼い頃の思い出に浸っているのか、それとも罪悪感にちくちくと刺されているのか。フレイにはそのすべてを察するどころか、むしろ触れることすらまだまだ遠いと思える。
 幼く無邪気なようでいて、彼にも彼なりに色々と背負うものがあるのだろう。人間、決して平坦な人生を歩いてばかりではないのだ。
「でも……確かにそうだなあ。あのときのダグさん、お姉ちゃんとおんなじ顔してるんだ」
 フレイが思案に耽っていると、ふとキールがつぶやくように声を出す。青い空に向けていた目は再びフレイのほうを見ていて、ついさっきまでのアンニュイな雰囲気はどこへやら、またいつもの朗らかな彼に戻っているようだった。
「ダグさん、ブーケさんのこと本当に大好きなんだろうね」
 噛みしめるような彼の言葉に、フレイは微笑みながら頷く。
 正直なところ、ダグとブーケの仲というのはいわゆる周知というやつなのだ。それこそ一介の旅人ですらひと目見ただけで察してしまえるくらい、最近の二人のあいだに横たわる空気はひどく甘くて柔らかなのである。指摘すると当人たちが照れたり逃げたりと忙しいので近頃はすっかり何も言わなくなってしまったのだが、確かに改めて見るとずいぶん仲良くなったなあと思う。
 記憶をなくしてからの短い期間しか知らないフレイですらそう思うのだから、長く付き合いがある人間なら思うところは何倍もあるだろう。それこそブロッサムなんかは、彼らと寝食を共にしている立場上一番近い場所で見守っているだろうし、そういえば少し前に感慨深そうに二人の背中を見ていたこともあった気がする。その後、冷やかすように茶々入れして笑ってもいたが。
 フレイの頭に浮かぶのは小耳に挟んだ小説家の言葉。かつて東方からやってきた旅人に教えてもらったそれが、今も睦まじくやっているだろう二人にぴったりであると思えた。
「仲良きことは美しきかな、ってやつだね」
 今日も、セルフィアには爽やかな風が吹いている。

 
20210516