うらやまぬ光

 数週間前、とうとうネズはスパイクタウンのジムリーダーに任命された。
 その件について何か異議や文句があるわけではなかった。むしろ正当な評価であるとすら思うほどで、リーグスタッフの決定も、それに頷いた彼自身も、ぼくにとっては納得と言うほかない事実である。
 スパイクタウンのジムリーダーになればあの街を昔のように盛り上げることができるかもしれないし、何よりマリィをひとりにしないで済みますから――そう言っていたネズの横顔は、妹を大切に想う「お兄ちゃん」そのものだった。

「おまえは実家を継がないんですか」
「え……なに、どうして?」
「ジムチャレンジも終わりましたし、そろそろ暇になる頃かと思って」
「ひどいな……確かにジムリーダーのきみに比べたら、ぼくなんてとんでもない暇人だろうけど」

 足元にまとわりついてくるタタッコを追い返すネズが、中途半端に言葉を切ったぼくに訝しむような目を向けてくる。
 別に迷ったわけではない。戸惑ったわけでも、言い淀んだわけでも。ただ、どうすればこの善の塊のような人間に、腐りきったぼくの考えを伝えられるのか考えている。
 ただまあ、こんな短時間で答えらしい答えが出てくるはずもない。半ばあきらめの境地に入ったぼくは、せめて飾り気のない言葉でまっすぐに伝えてみようと決めた。下手に言い訳をして誤解をされては困るので、それならありのままを言ったほうが何倍も良いと思ったから。

「……継ぐつもりなんてないよ。確かにあの果樹園は曽祖父の代から続いているけど、だからって世襲にこだわる必要はないだろうし」
「おまえ……随分と罰当たりな人間ですね」
「はは、そうかな? どうしても続けたいなら妹にでも頼むと思うし、ぼくはそれまで適当に逃げるだけさ」
「…………」
「うわ、すごい顔」

 あからさまに顔をしかめるネズ。その顔は何を考えているのかわかるようなわからないような、けれどもぼくの答えに少なからずショックを受けているだろうことだけは理解できる。
 なぜなら今彼は仲間を引き連れて帰ってきたタタッコにもみくちゃにされかけているのだが、それに抵抗しきるような余裕がないようだったからだ。殴られないよう気をつけてね、とだけ助言して、やっとカラマネロに追い払わせることができたものの――普段あんなに整えている髪がぐしゃぐしゃになっているのを見て、思わず吹き出してしまった。
 笑ってる場合じゃねえんですよ、と言うネズの顔は、ぼくに向ける怪訝の目と羞恥がないまぜになっていて、ひどく複雑そうな表情を浮かべている。
 ――ぼくは、自分が真っ当だとは思っていない。ひどく恩知らずで、不真面目で、ひどい人間だという自覚ならば十二分にあった。だからこそネズのように『誰かのため』を想って行動できる人間が眩しくて仕方ないのだ。
 羨むほどの慈悲はない。ただ、ひたすらに目が焼かれる。
 それでも彼のそばに心地良さを感じるのは、きっと影があるから光が際立つとか、昼と夜が隣り合わせだとか、そういった相反する位置にぼくたちが立っているからなのだろうと思う。

 
20210309