あなたとならばどこまでも

 人工島パシオでの生活にも慣れてきた今日この頃、グラジオさまはようやっと安らいだ様子を見せてくださるようになった。
 このパシオでのみ普及している独自のバトルスタイルに、数多の地方からやってきた強者との息もつかせぬバトルの日々。刺激的な毎日は、きっとグラジオさまにとってこのうえなく良い経験になっているのだろうけれど、反面、この幼くもやわい精神に負担をかけているのではないか、そんな懸念もゼロではなかったりする。
 なんせ、グラジオさまはこの島で戦うメインのバディーズにシルヴァディを選んだ。シルヴァディは個体数が少ないこともあって、どうしても奇異の目を向けられがちだ。人間の視線というのはどうしてもストレスになるし、パートナーを守ってやるのはトレーナーの務めだということで、グラジオさまは周りの視線にひときわ敏感になっておられた。
 ゆえに、ここに来てすぐの頃はいささか疲れたような素振りを見せることが多かったのだけれど――近頃はずいぶん環境やかわし方にも慣れたようで、少しずつリラックスしたお顔を見せてくださるようになった。
 とはいえ、改善傾向こそあれど疲れのすべてが取れているわけでもないので。わたしは微々たるものでもリフレッシュとなるよう、こうして度々グラジオさまを散歩に誘い、のんびりとこの島を歩きまわっているのだった。

 
「――その。こういうことを訊くのは、愚問かもしれないのだが」

 そんなおり、唐突に切り出したのは他でもないグラジオさまだった。木々にすらかき消されそうなほど小さな声であったけれど、このわたしがグラジオさまのお言葉を聞き逃すわけはない。
 躊躇うようなご様子はそれこそたまに見せるもので、ほとんどは持ち前のお優しさにより生まれた疑問をぶつけてくるときだ。今回もきっとそれだろうと推察する。
 どうしたのですか、とずいぶん精悍になった横顔に問うわたしに対し、グラジオさまは一瞬もにゃ、とくちびるを動かしたあと、静かに言葉を続けた。

「オマエ、本当によかったのか。パシオにまでついてきて」
「おや……驚きました。本当に愚問ですね」
「ピエリス」
「申し訳ございません」

 はじめに愚問とおっしゃったのは、グラジオさまのほうなのに。
 こちらに向いた視線は少しばかりじっとりとしていて、いつもの調子が戻ったように窺えて、ほんの少し胸があたたかくなった。
 とはいえ、そうして満足するわたしとは裏腹に、当のグラジオさまはやはり納得がいかないご様子だったので。口答えをするようですけれども、と前置きしてから言葉を返す。この、ひどく優しい主人のために。

「だって、本当に愚問なのです。わたしにとっては、グラジオさまのお傍にいられないことのほうがよっぽどつらいことですから」
「しかし――」
「というか、別にこのパシオに永住するわけでもないのでしょう? いつでも帰れるのですから、そこまで深く考える必要はありませんよ」

 いわゆる正論パンチを食らわせてしまっただろうかと思いつつ、グラジオさまの様子を窺う。案の定彼は眉間にくっとシワを寄せて、いやに考え込んでいるふうであった。

「それは、たしかにそうだが……とはいえ、オマエはアローラの土地にまるで執着がないようだから、たまに心配になるんだ」
「はて……心配とおっしゃいますと」
「たとえば――このオレが地獄の底に行くと言ったら、オマエは何も言わずについてきてしまうだろう。それこそ、ヌルをつれて飛び出したときのように」

 パシオの高い空を見上げながら言うグラジオさま。この島にはやせいのポケモンはいないらしいので、アローラのようにキャモメやツツケラの群れが飛んでいるようなことはないが……それでも、どこかのトレーナーの子と思しきピジョットやチルタリスが、悠々と空を駆けまわる様子が映る。
 ひどく、自由で雄大なすがただ。それはかつてお屋敷を飛び出したときのグラジオさまのようであり――結局はお家の呪縛に囚われたままであったが――わたしはいやに眩しく見えて、思わず目を眇めてしまった。

「わたしは――」

 正直、グラジオさまのお言葉に胸の内がうごめくのを感じた。言わずもがな図星だったからだ。
 わたしは、グラジオさまを盲信している自覚がある。なぜなら彼はわたしにとって世界の中心で、支柱で、彼と出会えたあの日にわたしの世界は色づいたから。空っぽで灰色だった世界に彩りを与え、あたたかさと冷たさを教えてくれた唯一無二の、いわば神さま。
 世界のすべてがグラジオさまに通ずるような気持ちでわたしは生きていて――だからこそ、その危うさや不安定さを見抜かれていることにどきりとした。この方の観察眼に感服するとともに、きちんとわたしのことを見てくださっている事実への、場違いで不謹慎な喜びまで感じている。
 たしかにグラジオさまの言うとおり、わたしは彼が征くのであればたとえ地獄の底であろうと喜んでその背中を追うだろう。そもそも彼のお傍にいられるのならそこは決して地獄ではないし、わたしにとってはむしろ天国となる。
 とはいえ、けれど、そもそもとして。わたしのなかには別の理由と、それに対する答えがある。

「信じて、いますから」

 わたしの返答を怪訝そうに聞くグラジオさま。彼は言葉を挟むことなく、沈黙でもって続きを促す。

「プレッシャーをかけたいわけではないのですが……わたしには確信があります。グラジオさまは、そんなふうに道を誤ることはないと。そんなあなただからこそ、わたしは心から信じることができるのです」

 呼応するようにして緩んだ頬、垂れ下がる眉。わたしの笑みらしきそれを見たグラジオさまは、一瞬目を見開いてからすぐに顔を背けたあと、微かに唸っているようだった。
 ……嬉しかった。年相応なグラジオさまのリアクションは、ここしばらくで急に大人びた彼がまだ幼い子供であることを教えてくれたし、以前わたしの笑みを好きだとおっしゃってくれた、あの日の思い出を想起させるものであったから。わたしが笑うと喜んでくれる、その事実がわたしにとっては何よりの褒美だ。

「……、する、」
「はい?」
「後悔は……させないように、する」

 オマエが、オレを信じてくれるのならば――
 耳を真っ赤にしながら言うグラジオさまの後ろ姿に、わたしの笑みはより一層濃くなるのだった。

 
主従の日といえばやはりここ! 今年も書けてよかったです。
2022/04/10