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 新人公演と夏公演が無事に終わり、八月も十日を過ぎればさあいざ征かん夏合宿――というわけで、ユニヴェールではクォーツのみならず、生徒たちのほとんどが胸をわくわくと昂ぶらせている。
 海堂先輩のご厚意や菅知の口利きで、アンバー以外の三クラスは今年もヴィルチッタ絢浜を使わせてもらえるらしい。去年と同じ高級リゾートホテルを前に79期生たちはみな歓喜の悲鳴をあげていて、ああ懐かしいな、なんて微笑ましく見る78期生のすがたが印象的だ。
 もちろん楽園に気分を上げるのもつかの間、今度は鬼のような稽古内容にまた違った叫び声をあげる羽目になるのだけれど……まあ、言ってしまえばそこまでが「お約束」というやつだ。
 さすがに二年目ともなれば立花も海での振る舞いに慣れたようで、去年よりも落ちついた様子で海水浴を楽しんでいた。近くに織巻という心強い味方がいるのもあるかもしれない。ただ、二人っきりのときに充満するあの親密な空気は危ない気もするので、あとで釘を差しておこうかと思ったこともあった。
 けれど、このユニヴェールにおいてジャックエースとアルジャンヌが密な空気を出すのは決して珍しいことじゃない。それこそ海堂先輩や菅知のように確固たる信頼関係を築いてしまえば、片時も離れず過ごす二人なんてのはゴロゴロと生まれてしまうのだろう。過敏に反応するほうがよくないのかもしれないなと思い直して、二人から距離を置いたのは合宿三日目のことだった。
 去年は根地先輩が先導してくれていたこの一週間も、今年度はそのほとんどを新しい組長である白田が担うことになる。もちろん僕も77期生の端くれとして彼を手伝うつもりであるし、オニキスとロードナイトの組長を任された菅知と御法川とも、ミーティングを兼ねて毎晩のように交流を重ねていた。
「いやー、去年も一昨年もそうだったけど、やっぱりロードナイトは姦しいやつばっかだな……男だけど」
「オニキスは今年も粒ぞろいやな。ちょっと主張が激しすぎるような気もするけど……どうや白田、組長として後輩たちを導いていく感想は」
「疲れる。……けどまあ、立花のおかげで思ったよりは静かかな。組長とはいえ、根地さんみたいに一人でやってるわけでもないし」
「白田はよくやってるよ。僕のサポートなんて必要ないくらいだ」
 進級したとき、コンビのよしみで手伝ってやると言ったのは確かだ。同期というのはきっと独特の繋がりがあるし、ジャックエースとアルジャンヌのものには叶わないとしても、それに近しい絆のようなものがコンビを組み続けていた僕と白田の間にはあるのだろう。
 ただ、よもやこんなふうに毎夜のごとく駆り出されてミーティングに出席させられるのは、正直納得のいかないところである。菅知や御法川の顔が見えるのは嬉しいことであるけれど、白田のことだから面倒なことは僕に処理させるつもりなのかもしれない。
 僕がそんなことを率先してやると思うのかと訊ねたこともあるが、「お前も立花のおかげで変わってきてるだろ」というブーメラン甚だしい言い分に一蹴された。
「白田の努力はもちろんだけど、クォーツはあの二人がいるからやりやすいのも確かだ。おかげで誘導もしやすいというか……高科先輩と睦実先輩並みの存在感と発言力はあるよ」
「そうだな……あの二人が協力してくれて最低限の労力で済んだ場面はいくつもある。……なんだ、雛杉も結構みんなのこと見てるんじゃないか」
「誰のせいだと思ってるんだか……」
 僕たちの静かな言いあいを見守る菅知と御法川。二人は軽く目を見合わせて、そしてくすりと笑ってみせた。
「お前らも仲良くなったよな……一昨年なんて姫と召使いみたいだったのに」
「誰が姫だよ、御法川。お前んとこのアルジャンヌじゃあるまいし」
「白田もやけど、雛杉も前よりコミュニケーションが取りやすくなった気がするな。なんや、雰囲気が柔らかくなったっちゅーか……話しやすくなった」
「昔が朴念仁すぎたのは否定しない……けど、僕が変わったっていうならそれも結局はあの二人の影響だ」
 事あるごとに話題に上がる「あの二人」。言わずもがな立花と織巻、クォーツのアルジャンヌとジャックエースのことだ。海堂先輩が卒業したことも相まって、二人はおそらく今のユニヴェールでトップを誇るパートナー関係を築いていると思う。
 もちろんそれは「パートナー関係」なんて一言で表せるものではなく、あの二人の間にはそれこそ瑞々しくも甘酸っぱい恋心が横たわっているわけなのだけれど……そんなこと、ここにいる面々にはとてもじゃないが話せない。あそこの関係を知っているのは当人たちと僕、そして世長の四人だけ。むしろそれでも多いくらいなのだから。
「……あれ、」
 そこまで考えて、ふと気がついたことがある。思い返せば僕は、合宿も折り返しの地点に来たというに未だ世長と深く話をしていないのだ。
 春先の一件をきっかけとして、世長はなんとなく僕に心を開いてくれたように思う。何かあると僕のところに寄ってきたし、立花と織巻の関係に当てられて心を抉ったときには僕のそばで弱音を吐いた。もういやだ、苦しい、なんでこんなことになったんだ――そんなどうしようもない嘆きを僕は何度も受けとめたし、震える世長が疲れて眠るのを見守ったのだって、両手の指じゃあ足りないくらいにある。
 間に合わせでしかない、傷を舐めるような夜は世長に安息をもたらしただろうか。あの繊細な少年の心を、僕は守ってやれているのか。……今も、一人で苦しんではいないだろうか。
 そこまでぐるぐると考えて、無性に世長の顔が見たくなってしまった。目の前で繰り広げられる会議を前に気をそぞろにして、僕の意識はどんどんあの少年へと向かっていく。
 ……会いたいな。そう自覚してはもはや止められず、僕は荷物を軽くまとめて席を立った。
「雛杉?」
「……ごめん、少し用事を思い出した。今日は先に失礼してもいいか」
「いいっていいって。どうせ白田に引っ張ってこられてんだ、自分のこと優先しろよ」
「何か気になることがあったら、またあとで連絡入れるわ」
 快諾してくれた御法川と菅知は僕にひらひらと手を振っていて、快く送り出してくれる二人にぺこりと頭を下げつつも、ほんの少し胸が痛む。大事なミーティングよりもただの自己満足を優先してしまったことに、なけなしの罪悪感が募っていた。
「悪かったな、雛杉。……またあとで」
 申し訳なさそうにこちらを見る白田の視線を振り切って、僕はホテルのロビーを発った。

「……世長に会いに行ったな」
 雛杉の背中を見送ったあと、白田がそうぽつりつぶやく。その目は何かを訝しんでいるような、けれど否定をしたいような、ひどく複雑な色をしていた。
「なんだ、あの二人仲良いのか?」
「仲が良いっていうか……世長が凹んでると決まって雛杉が声をかけに行くし、世長も何かあったらすぐ雛杉のところに行ってる」
「へー、いい先輩してんじゃん」
 感心したように言うのは御法川だ。昨年までの雛杉を思い出しているのだろうか、後輩に世話を焼いているすがたがあまりピンと来ないのかもしれない。
 なんせかつての雛杉は白田に負けず劣らず、人を寄せつけないようないやに距離を取っているような、ひどく独特な拒絶のヴェールを纏っていたのだから。
「ただの先輩……なら、いいんだけど」
「何かあるのか?」
「世長のやつ、雛杉と一緒にいるようになってから立花や織巻とつるむ機会が減ってるんだ。去年の秋公演ほどじゃないし、何か険悪そうなわけでもないんだけど……さすがに、そろそろ目につくようになってきた」
「あー……それは確かに気になるな。特に世長は色々抱え込みやすそうだし」
 組長としての自覚がそうさせるのか、それとも生来のものなのか。勘の鋭さも相まって、白田はどうにもあの二人から目を逸らしてはいけないような気がしている。
 何か恐ろしいことが起きる前触れのような、ただ、それも杞憂のような。確信のカの字もない気づきは、二人が一緒にいるところを見るたびざわざわと胸をざわつかせた。
「今はまだ、見守ってやるしかないやろ。雛の巣立ちや」
「菅知……」
「気負いすぎやで、白田。もっとゆったりやってもええやろ。今の雛杉はちゃんと話も通じるし」
「――そう、だな。そうなんだよな……」
 ただの傍観ではなく、ただひたすらの愛と覚悟を持って。
 そう言うような菅知の言葉に、白田は肩を竦めながら頷いた。

 
20210427