本日の主役たる私

 本日・八月二十三日は美帆の誕生日だ。
 翹英荘の子どもたちは皆、毎年のように大人たちから誕生日を祝ってもらう。もちろんそれは美帆も例外ではなく、他に誕生日が被っている人もいないので、今日の彼女は翹英荘の主役だった。
 一歩外に出るたび、プレゼントを渡される。隣のおじさんからは手作りのモラミートをいただき、それをかじりながら歩いていると、葉おじさんがおいしいお茶を淹れてくれた。嘉明の話をまじえながら談笑にいそしみ、また歩き出すと今度は浩然に出くわして、今朝とれたばかりの新鮮な魚をもらう。梓豪には「これで手紙を書いてやれよ」という揶揄とともに璃月港で仕入れたらしい上等な万年筆を渡されて、藍硯からはフワフワヤギを模したかわいい籐人形をもらった。もちろん彼女のお手製である。
 歩けば歩くほど重たくなる荷物を両手いっぱいに抱えながら、美帆はおのれが大切にされていることを実感する。もう子どもじゃないのにな――そんなふうに思いはすれど、大好きなみんなにお祝いしてもらえるのは素直に嬉しい。そして同時に、皆にもらった親切や愛情を返していこうと誓うのだ。翹英荘というちいさな村は、こういった厚意の循環でできている。
 しかし悲しいかな、人間とはやはり欲深いもので、皆に祝福をもらう喜びの裏側で育つ寂寞を、美帆は無視できなかった。
 
「……今日くらい、会いたかったな」

 ここに嘉明がいないこと。今日という日に一番会いたい人だけが目の前にいない、その事実が本日の主役の胸に暗い影を落とす。
 嘉明が忙しい身であることは重々承知している。鏢師の仕事も、獣舞劇も、悔しいけれど応援すると決めた。嘉明の輝く場所が翹英荘ではないこともおのれに納得させた。けれど美帆のなかには「せっかくの誕生日なのに」という恋人としてのわがままが満ち、いつしかそれは涙となって蒼瞳からあふれだす。
 ぐず、と鼻を鳴らしながら村のはずれで膝を抱える。ここはかつて、嘉明が助けてくれたあの場所だ。

「私、何かあるとすぐここに来るよね……」

 お茶の香り漂う翡翠の風のなか、どうしようもかく独りごちながらとまらない涙を袖で拭う。せっかくみんなが祝ってくれているのに、こんなふうにシケた顔を見せるわけにはいかない。
 あーあ、帰れるようになるのはいつくらいだろうな、なんて他人事のように考えているおり、ふと、美帆の視界が暗くなる。背後に立つ「誰か」の影によって浮かび上がったシルエットは、振り返らずともわかるくらいに馴染み深く、そして、それだけで美帆の涙をすっかり引っ込ませた。

「なーに泣いてんだよ、一人で」

 ――嘉明だ。聞き馴染みのある、落ちつく声。呆れたようでも愛おしげでもあるそれに思い切り振り向くと、彼は日輪の瞳をうっすらと細めながら、美帆の隣に腰かける。

「が、嘉明、どうして……?」
「どうしてもこうしてもないさ。会いに来たんだよ、美帆に」
「でも忙しいんじゃ――」
「そりゃあな。でも、『忙しい』はここに来ない理由にはならないぜ。なんたって今日は特別な日なんだ、美帆の誕生日っていうな」

 にっかりと笑いながら、嘉明は美帆の頬を撫でる。まだ真新しい涙の跡を丁寧にぬぐい、戯れるように頬をつまんだ。くすぐったさに美帆が笑みをこぼすと、嘉明は安堵の微笑みに着替え、懐から包みを取り出す。

「これを渡しに来たんだ。オレからの誕生日プレゼント」
「あっ、ありがと……えと、開けていい?」
「もちろん!」

 断りを入れて包みを開くと、そこには霓裳花を模した髪飾りが入っていた。派手ではないが地味でもない、しかし精巧な細工が施されているそれには、嘉明のセンスがあらわれている。何よりこれくらいのものなら、ほとんど装飾品をつけない美帆にも手を出しやすいように思えた。端々からうかがえる彼の気遣いが、美帆の胸をあたたかくする。

「あんまこういうの着けないだろ、美帆はさ。だから、プレゼントには相応しくないかなって思ったりもしたんだけど……」
「うん……」
「でも、これを見たときに一番にオマエの顔が浮かんだんだ。絶対似合うって、つけてるところが見たいって思った。だから――おわっ!?」

 嘉明の言葉を待つ余裕もなく、気づけば体が動いていた。照れくさそうに頬をかく彼に思い切り飛びついて、力いっぱい抱きしめる。普段から力加減には気を遣っているが、嘉明相手なら問題ないだろう。

「ありがと、嘉明。これ、今までで一番嬉しいプレゼントかも……っ!」

 ……嬉しかった。大好きな人が、何気ない日常のなかで自分を思い出してくれたこと。そして、忙しい合間を縫ってわざわざ会いに来てくれたこと。
 今度こそ自分は「本日の主役」たる人間になれたのかもしれないと、そんなふうに考えてしまう。我ながら現金すぎるとは思うが、美帆にとって嘉明という人間はそれほどまでにおおきな存在だった。
 寂しさの涙は喜びの涙へ。ぐずぐずと泣きじゃくりながらしがみつく美帆を、嘉明はやさしく受け止めてくれる。昔みたいに背中を撫でてくれるその指先が、誰よりも、何よりも好きだった。
 
 そうしてしゃくる肩が少し落ちついた頃、ゆっくりと体を離される。嘉明の手には先立っての髪飾りが握られていて、すぐにそれは美帆の髪へと重ねられた。無理につけようとしないのは彼なりの気遣いだろう。

「うん、超似合ってる、思ったとおりな。オレの目に狂いはなかったぜ」
「ほんと……?」
「もちろん。まるでオマエのために作られたみたいだぜ――っていうのは大袈裟かな、さすがに」

 再び手のひらに乗せられたそれを、美帆はやさしく抱きしめる。嘉明からの祝福、愛情、やさしさ、思いやり、それらすべてがつまったこの髪飾りは、涙というフィルターも相まって、どんな宝石よりも輝く宝物だった。

「……今度、」
「うん?」
「今度一緒に出かけるとき、これつけてく! 絶対!」

 涙をぬぐいながら言うと、嘉明はひとたび目を見開いたのち、うんと愛おしそうに笑った。そしてどちらともなく顔を近づけ、恋人としてのふれあいをする。久々に触れた嘉明のくちびるは以前と変わらず柔らかくて、途端に胸がいっぱいになる。
 しかし、余韻に浸る間もなく美帆の頭にはある「可能性」が浮かんだ。それはとある苦い記憶から呼び起こされたもので、警戒したように視線を動かす彼女に、今度は嘉明が怪訝そうな目を向けた。
 
「どうしたんだ、いったい?」
「いや……今日はウェンツァイに邪魔されなかったな、と思って」

 
夢主の誕生日でした。おめでと〜
2025/08/23

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