終わりの朝日

 フォドラは夜明けを迎えた。ネメシスを打ち倒し、壁を壊すための準備が整ったのだ。このままうまくいけば、クロードを長年苦しめた偏見という名の脅威を、そう遠くない未来になくすことができるだろう。
 おのれに流れるフォドラの血はもうさんざ利用した。この大地で出来ることはもはやほとんど残っておらず、クロードのなかにあるのはうまくいったという安堵感と達成感だが――それでも、まだまだやるべきことが山積みであるのは理解しているので、彼の目は未だずっと遠くを見つめている。
 深呼吸を繰り返す。そう、今なのだと思った。今こそが、彼女をこの腕に閉じ込める絶好の機会であると、クロードは確信していた。
 女神の塔の最上階で想い人を――ウィノナのことを待ち焦がれながら、クロードはずっと深い呼吸を繰り返している。ここに現れるウィノナが泣きそうな顔をしていることは、もうとっくに予想がついていたので。
「まったく……最後の最後だっていうのに、あなたって人はまた随分な場所に呼び出してくれるのね」
 かつん、かつんと、いやに落ちついた足音が聞こえ始めたのはすぐだった。想像通りの顔をするウィノナは、けれども他の人間に悟られない程度には外面を取り繕えているようだ。
 どれだけの悪態をつこうと、どれだけ自分が苦しもうとも。ウィノナがクロードの申し出を断らない、否、断れないということをクロードはよく知っていた。だからこそこの場に呼び出したのだ。この塔からはフォドラという大地の夜明けがよく見えるので、自分たちの門出にも似つかわしい場所であると判断した。
「雰囲気づくりは大事だろ? これから一世一代の大勝負が待ってるんだからな」
「変わらないのね。そうやって軽いことを言って、人の心をかき乱そうとする……」
「おっと、誤解されちゃ困るな。……俺はいつだって本気だったんだぜ、お前と話をするときは」
 クロードは空を仰ぐ。満天の星空が静かに自分たちを見守ってくれているようで、なんとなく懐かしい気持ちにさせられた。
 出会いの日もこんなふうな夜だったか。あの日のウィノナは鋼の剣を折り、あろうことかそのまま粉にしようとしただけでなく、薄く脆い手のひらで直接掬おうとさえしたのだ。突拍子もなさすぎる行動に思わず声をかけてしまった、あの懐かしくも奇妙な出会いがひどく遠いことのように思えて、クロードはまた深く長い息を吐く。
 言わねばならないことは山ほどあった。その足がかりには、きっとこの話題がいいのだろう。
「なあ、ウィノナ。覚えてるか? 俺たちが出会った……というか、初めてまともな言葉を交わした日のこと」
「ええ、もちろんよ。あのときのあなたはまるで不審者だったけれど……でも、その不審者に助けられたのも確かね」
「はは、不審者はお互い様だろ? ……お前は気づいてなかったかもしれないが、俺はあの瞬間になんとなく察してたんだぜ。お前のなかに流れる血も、宿している紋章も」
 クロードが空に目をやっているあいだもウィノナはじっとこちらを見つめていたようで、視線を戻すとすぐに目があってしまいたじろいだ。
 けれどもウィノナは何も言わない。沈黙がお互いの言葉を促す合図であるということを、自分たちは嫌というほど知ってしまっている。
「俺は最初、お前のことを利用してやろうと考えた。たとえお前が不義の子であったとしても、おそらくそのブレーダッドの血は何かしらに使えるだろうってな。同盟と王国の橋渡しなり、脅し文句に使うなり、単純な力であったり……使えるものは何でも使ってやろうと思ってたんだ」
 正直なところ、怖かった。このことを打ち明けて拒絶されるのも、これからに支障があることも。
 けれども、伝えずにはいられなかった。これから永く連れ添う仲になるのであれば、懸念のたぐいはできるだけ取り払っておいたほうがいい。
 もう、いっさいの嘘や方便を使いたくはなかったのだ。彼女には――ウィノナにだけは、本音と本心で付き合っていきたかったから。
「金鹿の学級に誘ったのも、その後ずっと構い続けたのも、いつかのためにお前を手懐けておこうと思ったからなんだが……はは、まさか俺のほうがお前に夢中になるとは思ってなかったよ」
「あら……あなたが私に夢中だなんて初耳だけれど」
「そりゃあな、今まで言えずにいたから当然だろうよ。けど……今日やっと、全部伝えられるんだ」
 差し出したのは、ひどく上等な造りの小箱。細かな装飾が施されたそれは、ひと目見ただけで特別なものであることがわかる。
 クロードはそれをそっとウィノナの手のひらに乗せ、蓋を開けるよう視線で促した。
「受け取ってほしい。……ただの仲間じゃなく、たったひとりの妻として、俺と一緒にパルミラへ来てほしいんだ」
 中に入っていたのは指輪だ。品の良い造りのそれは銀細工に深い緑の宝石がはめ込まれていて、煌めくその色はクロードの瞳とよく似ている。
 彼が「異物」である証左に他ならない瞳の色はパルミラでは見られない特異なものであり、だからこそウィノナにその指輪を身に着けてほしかった。醜くも情けない男の独占欲が込められているそれは、夜闇と星明かりにも負けないほど煌々としている。
 けれども当のウィノナは、指輪を前に怪訝そうな顔をしていて――
「……お返しするわ。あなたがこんなことをする人だとは思わなかった」
 クロードの決死の求婚を、あろうことかいっさいの拒絶によって撥ねつけてしまったのである。
 あまりの出来事にさしものクロードも目を丸くしてしまい、此度のために整えていた体裁が一気に崩れ去るような気持ちにまでさせられた。みっともなくうろたえる男の姿がここにある。
「なっ――なんでだよ、おまえ」
「なんで、って……そもそも冗談で求婚なんかするものじゃないわ。私のことをどんな人間だと思っているのか知らないけれど、さすがに限度というものがあるのではなくて? 私だって女ですもの、睦言へはそれなりに夢を見ているのよ」
 眉間にあからさまなシワを寄せながら言うウィノナは、あっけなく小箱の蓋を閉めてクロードへ突っ返そうとする。泣きそうであった表情は一転して怒りを孕んでいて、けれどもそれに怯むようなクロードでもない。小箱を包み込むウィノナの手に手を重ね、彼もまたそれを押し返す。
 ――ここまでだとは。彼女がここまでの頑固者であるとは、さすがに考えの及ばないところであった。
 クロードだって結婚は特別なものであると理解していて、ましてやウィノナにとっては国を越え、言葉を越え、文化を越えるほどの決断を迫る大事だ。
 だからこそずっと好機をうかがっていたのに。だからこそ、ずっとずっと準備を整えていたというに。
 よもや冗談で結婚を持ちかけるような男だと思われていたのかと。その屈辱は、どれだけ愛しい彼女であろうと耐えかねるものだ。
 傍から見れば振られた男の逆恨みに思えるかもしれないが、彼女の拒絶はクロードにとって、彼自身の決断や忍耐、彼女への想いというものを、他でもない本人に、誰よりも自分を理解してほしい人に冷たく傷つけられたも同義なのである。
「おまえ……そろそろいい加減にしろよ」
 びくり。ウィノナの肩がちいさく揺れた。
 気さくなようで至極理性的なクロードが、この上なく感情を――怒りを露わにしている。低く唸るような声色も、険しくなった表情も、微かに強くなった指の力も、何もかもが彼の怒気を表していた。滅多なそれにはさしものウィノナであっても戸惑いを隠すことができないようで、いささか怯えているようにも見えた。
 ウィノナは、じっとうつむいていた。強い感情の波を耐えしのごうとするその姿は、彼女が弱い女であることをじっくりと知らしめてくる。
「この際だから言っておく。お前は何か誤解をしてるらしいがな、俺はお前以外にここまで腹のうちを晒したり、気遣ったり、弱みを見せたりしたことはない」
「……く、口ではなんとも」
「じゃあみんなに訊いてくるか? 先生、ヒルダ
ローレンツ、フレン……なんなら兵士のひとりひとりを捕まえて意識調査でもしてくるといいさ、『あなたはクロードの弱みを知っていますか?』『彼と寝たことがあるかしら?』ってな」
「…………」
「教えてやるよ。俺はな、フォドラに来てから口づけも共寝もお前としかしたことがない。離れていた五年間だって例外なく、だ。やろうと思えばひと晩語り明かせるぜ、俺がどれほど禁欲的な時間を過ごしてきたか――」
 ウィノナは未だうつむいたまま、クロードの言葉を受けとめている。重ねた手の震えが分厚い手袋越しにすら伝わってきて心が痛むが、しかしここで手を緩めるわけにもいくまい。クロードは必死になっていた。ずっと恋い焦がれてきたたった一人の女を手に入れる、その絶好の機会が今であるのだから。
 今このときを逃してしまえば、おそらく自分たちの道がこの先に交わることはないと――そんな予感があったからこそ、クロードはたとえ泥臭くなってでも、彼女を手に入れたかったのだ。
「だ、だって……」
 声が震えている。誘われるように顔を覗き込むと、その刹那まばたきと共にひと粒の涙が落ちるのが見えた。
 箍が外れたようにほろほろと落ちるそれは、いわば月の涙のごとく煌めいているように見える。涙のひと粒すら惜しいと思うのは初めてだったし、彼女の涙によって一気に罪悪感と後悔が押し寄せてきた。泣かせるつもりなんかはなくて、ただ理解をしてほしいだけだったのに。また失敗してしまったのか。
 クロードは打って変わって優しく問う。彼女の言葉を促すように、続きを静かに待った。
「あなたは、一度も会いにきてくれなかったじゃない」
 けれど、待っていた言葉はさながら鉛球のようで、クロードの脳みそをがつんと強く揺さぶってくる。
 ――会いにきてくれなかった。それはクロード自身も強く悔やんでいることで、この五年と数節のあいだ、ずっと心にこびりついていた後悔のひとつにほかならない。
 会いに行ってやれなかった。迎えに行くことも、強引に連れ去ることも出来なかった自分を、ずっとずっと、悔いていたから。その負い目が彼女自身の口から突きつけられた現実に、足元がふらつきそうになった。
 クロードの様子を察知したのか、ウィノナは取り繕うように言葉を次ぐ。誤解されているとでも思ったのだろう。
「あ……あの、違うのよ。私は別に恨み言を言うつもりはなくて、ただ、それが答えなんだと思っただけなの」
 涙声はひどく痛々しいが、必死に紡いでくれるそれが殊更強く胸を叩く。なんとか体裁を取り繕って、まともな言葉を返そうとした。
「答え、ってのは……なんだ、俺がお前のことを何とも思ってないとでも?」
「当たらずとも遠からず……かしら。情勢を鑑みれば難しいことなのは明白だけれど、五年の間、あなたからは何の便りもなかったでしょう。私は……私だって、学生の頃からずっとあなたのことが好きだったから。だから期待してしまったのよ、もしかしたら、もしかしたら、って毎日あなたからの連絡を待った」
 言い終わるか否か。再び、ウィノナの瞳からほろりと涙の粒が落ちた。
 角弓の節のぬるい風が、二人のあいだを吹き抜ける。残暑厳しいこの時分に吹く風は真夜中といえど涼しいとは言いづらくて、とりわけぬるく感じるこれはおそらく南東――パルミラの方角から吹きつけているようだ。
 故郷から吹くぬるい風に、今このときを揺さぶられている。目をこらせばなんとなくパルミラの山々が見えるような気もするが決してそんなことはなくて、けれどもこうして風通しが良くなったような気分になれるのは、きっと歴史上にない大事を成したという達成感がこの胸にあるからだ。
 けれど、その大願のために小さな女の期待を踏みにじっていたことを今さら知って、クロードはまた胸を痛める。ただ目の前で涙を流すだけの、たったひとりの想い人の手を取れなかった、情けない過去をこの上なく悔いた。
「でも、あなたからは何もなかった。期待なんて、意味がなかった。だから私はその程度の存在で、あなたにとっての『特別』ではないと……そう自分を納得させて、ここまで来たの」
「ウィノナ、それは――」
「本当はね、時間がかかったなんてのも嘘。あんな家すぐに潰してしまえたし、もっと早くここへ来ることも出来たわ。……でもね、勇気がなかったの。今まで通りにできる自信がなかったから、ずっと二の足を踏んでいて――」
 それで、約束の日にも遅れてしまった――そう伝えきって、ウィノナは泣き崩れるように嗚咽をもらした。
 せき止めていた涙が溢れだす様子を、クロードはただ見つめている。泣きじゃくる肩を前にして、頭の中をかき混ぜられるような感覚にすら。自分が取り落としていたものの大きさや重さ、おのれの無自覚な残酷さ――それらすべてが一気に押し寄せていて、正直、頭の中は嵐と言うのも生ぬるいほどめちゃくちゃだ。
 けれども、ここで同じように膝をつくわけにはいかない。どれほどの後悔があろうとも、罪悪感に飲まれようと、クロードには手に入れたいものが、そばにいてほしい人がいる。
 これからもずっと隣で、誰よりも深く、恒久の時ですら寄り添いたいと思う人がいま目の前にいるのだから。さすれば、たとえ身勝手だと言われようとやるべきことはひとつしかなくて――クロードは、慟哭に揺れる細い肩を抱き寄せた。
「ウィノナ。一度しか言わないから……いや、お前が望むなら何度だって言う、ただ今回はその、格好をつけさせると思ってよく聞いてくれ」
 腕のなかでうなずく気配がして安堵の息をこぼしながら、クロードはぐちゃぐちゃにかき乱された脳内をゆっくりと落ちつけていく。今さら失敗も何もないが、少しでも格好つけておきたいのは男の性というものだろう。
「飛竜の節――ほら、鷲獅子戦後の祝賀会、あっただろ? 今にしてみれば、俺はきっとあの頃からお前のことが好きだったんだぜ。……俺は目的を持ってここに来た。夢を叶えるためにな。けど……まさか入学して半年で特別な人間に出会っちまうなんて思ってもなかったよ」
「わ……私、だって。私も、すごく嬉しかったわ。あなたはいつも優しくて、明るくて、ひとりでしかいられない私を引っ張っていってくれたでしょう。私……私、あなたにずっと感謝してた。あなたと出会えてよかったって、ずっと、ずーっと思っていたもの」
「はは……うん、そうだな。――そうなんだよな、俺たちは」
 クロードの手のひらが、そっとウィノナの頬に添えられる。少し体を離して目に入れた彼女は幾筋もの涙を流していて、けれどもそんな、子供のような泣き姿をひどく綺麗で、愛おしいと思えた。
 仄明るい月光に彩られたウィノナは何よりも美しく見える。誰にも見せたくない、この月にだって渡してやらないと思うくらいにはずっと、今まで以上に蠱惑的で狂おしい存在としてこの目に映った。
「――愛してる。これからもずっと、俺と一緒にいてくれるか。お前には俺の隣で……俺と、同じ景色を見てほしいんだ」
 確信があった。今度こそ、今度こそだと。此度ばかりは決して撥ねつけられることはないと、だからこそクロードは先ほどよりもずっと生身の、飾らない言葉を吐くことができた。
 クロードの渾身の言葉を受けたウィノナは、まるで甘えるように手のひらへとすり寄る。彼女は、その伏せた瞳にすらありったけの幸福感を湛えていて、嗚呼、この顔が見たかったのだ。こうして、幸せそうに寄り添う彼女をずっと見たいと思っていた。
「本当に……本当に、私でいいのね。穢れきった犯罪者の娘でも、親でも子でも厭わず殺すような、人の道に背く女でも――」
「おっと、そろそろ焦らすのはやめてくれないか? 何度も言うが俺の『特別』はお前だけだし……そもそも、俺の好きな女を貶すようなことは控えていただきたいね」
「ふふ……そうね」
 ここに来て初めて笑顔を見せたウィノナが、ぎゅうとクロードに抱きついてくる。決して力いっぱい……というわけではないが、それでもその腕から彼女の想いが伝わってくるようで、クロードはじんわりと、胸の奥を熱くさせた。
「本当は、いつ別れを切り出されるか気が気じゃなかったのだけれど……夢みたい。私、これからもずっと、あなたと一緒にいられるのね」
 想いがあふれてくるのはどちらも同じなのだと思えた。踏むべき段階をいくつも飛び越えて関係をつくった二人であるが、今はまるで子供のように、抱きあってお互いを感じている。
 果たしてどれだけひっついていたのか――キツく抱きしめあってやがて体温が混ざりあった頃に、どちらともなく顔を上げて見つめあう。
 五年ぶり。五年ぶりだ。五年という、人間には長すぎる時を経て、やっとクロードはウィノナを腕に抱くことができたし、再びその唇に触れることができる。ささやくように名を呼べば、ウィノナは何も言わずに目を閉じてクロードを待った。
 そのまま誘われるように顔を寄せた途端、ふわりと鼻腔をくすぐる彼女の香りに、眩暈でも起こしたかのような錯覚に陥る。視界がくらりと歪んで、今にも理性をなくしてしまいそうだった。こんな時間の女神の塔なんて人間どころか動物の気配も感じられないが、それでもこんな野外で野獣さながらに彼女を貪るわけにもいくまい。それは彼女を守るためはもちろん、自衛の気持ちすらあった。
 結果、クロードはまさに唇が触れんというところでぐいとウィノナを突き放した。目をまんまるにして戸惑う彼女を前にうまい言い訳が思いつかず、観念して本音をそのまま打ち明ける。ひと言で言うなら、「このまま口づけると止まらなくなりそうだからマズい」だ。
 まとめてしまえば簡単に終わるその言葉を、しかしクロードはあまりにもしどろもどろな、ひどくみっともない言葉で伝えてしまった。格好つけさせてほしいとは一体なんだったのか、結局のところ彼はウィノナを前にするとまったく格好がつかなくて、どうしようもないただの男にさせられるのだ。
 ここにいるのはただのクロード。盟主でも王子でもない、たったひとりの男であった。
 彼の吐露を受けたウィノナがどう反応したのかと言われれば、彼女は呆気にとられたあと、あろうことかけらけらと声をあげて笑い出したのである。彼女がこんなふうに口を開けて笑うことは珍しくて、このクロードですら最後に体を重ねたあの日くらいしか見たことがないように思う。
 ありのままのウィノナを、そして、遠き日に恋をした彼女を前にしていると思えば聞こえはいいが――それでもやはり、クロードとしてはあまり居心地の良いものではなかった。
「あなたって人は……ふふ、本当に可愛い人ね」
 ウィノナは笑う。そして、悲嘆でも感動でもない、笑いすぎてあふれた涙を拭いながら、晴れやかな顔でクロードを見ていた。
 こんな顔を見たのはいつぶりだろうか――やっと手に入れたという愛おしさに重ねられるそれには、もう、他には何にも目に入らないと思えるくらいの甘ったるさがあった。
「そうね、あなたがそう言うなら口づけは我慢しておいてあげる。その代わり――」
「わかってるさ。五年分を取り戻して、むしろ余るくらいの心地にさせてやる」
「ふふ……そう。楽しみだわ」
 どちらともなく、手を取って。
 同じように、微笑みあって。
 クロードとウィノナは、あの頃のように足並みをそろえて女神の塔を降りていった。
 遠い東の空からは、薄明かりと共に太陽が昇り始めている。

 
20220321 加筆修正
20200913