僕だけの姫、私の騎士

「そうだ、僕、騎士になったらやってみたいことがあったんだ」
 出し抜けに声をあげたアッシュはその言葉でもって、遠く空を見上げていたウィノナの意識を引き戻した。はたと思いついたような顔はなんとなくの自信と相変わらずの誠実さに満ちていて、彼の言うことならば中身を聞かずとも話に乗って問題ないと思わせる。
 ウィノナがなあに? ときくと、アッシュはおもむろに膝をついてかしずいた。それはガスパール城の露台のど真ん中であり、ともすれば城下の人々の目にも入りそうな場所で。
「アッシュ……? どうしたのかしら。そもそも、あなたのような人間がそんなふうに膝をついては」
「いいえ、何も問題はありませんよ、姫。私はあなたの騎士なのですから、このくらい」
 そう言うとアッシュは流れるようにウィノナの手を取り、その甲に優しく口づけをする。一連の所作は騎士を通り越してもはや王子のようであり、最近になって身につけるようになった外套も手伝って彼が騎士道物語の登場人物であるかのような錯覚に陥らせた。
 長年騎士に憧れていただけあってアッシュの振る舞いは完璧に近い。並みの女なら声をあげて倒れてしまうかもしれないなと、ウィノナは余裕をなくしつつある頭の片隅で考えた。
「愛しています。私の――私だけのお姫様。どうか私と共にあるときだけは、ありのままのあなたの姿を見せていただけますか」
 ふいと視線を上げるアッシュは真剣そのものの表情で、真摯という言葉を体現したかのような面持ちに、とうとうウィノナは負けてしまった。片手で覆われた顔は耳まで赤くなっていて、普段はあまり表情の変わらない彼女にしては珍しく感情を乱しているといえる。
「……むしろ、あなたの前で自分を取り繕った覚えがないわ。だってあなたは私にとって、初めての人なんですもの」
 初めての恋だとか、初めての出会いだとか、初めての再会だとか。ウィノナにとってのアッシュは初めてをたくさん積み重ねてきた相手であって、数々の転機に関わってきた男でもある。アッシュはひどく特別であった。今のウィノナがあるのはアッシュのおかげである、そう言っても差し支えのないほど。
 彼の――アッシュの前ではウィノナなど、たったひとりの少女に過ぎなかった。
 ウィノナの回答に満足したのか、アッシュはいつものふにゃりとした笑みを浮かべて立ち上がる。知らぬ間に立派になったものだ。彼の笑顔からは照れなど微塵もうかがえず、けれどもウィノナを転がして楽しむような意地悪ではないところがアッシュの最大の長所なのだけれど。
「もう……こんな私をお姫様扱いしてくれる人なんて、世界中のどこを探してもきっとあなたくらいよ」
 喜んでもらえてよかった、という言葉にウィノナはもう何も言えず、城下の歓声を聞きながら彼の胸に飛び込むくらいしかできなかった。

20200918