10

 ふ、と夜中に目を覚ます。いっさいの音が聴こえない静寂のなか、カーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされるのは、まだまだあどけない少年の寝顔だ。
 色々なものをぶちまけたせいだろうか、以前より満ち足りたような、安らいだ表情にそっと胸を撫でおろした。僕がいくら身動ぎしても眉ひとつ動かさないあたり、熟睡のほどはよっぽどらしい。
 目の前の少年は……創司郎は、僕の体を抱きしめたままぐっすりと眠り込んでいた。
「創司郎」と名を呼ぶと、照れたように頬を染めた。その手に触れ、ゆっくりと指を絡めてやれば、幸せいっぱいといった具合で柔らかく目を細めていた。立花の背中を見るたびに沈んでいた横顔も近頃は少し和らいで、切なそうな微笑み程度に抑えられるようになった。
 まだまだその胸を締めつけさせる初恋の痛みを、次はどんな手を使って奪ってやろうか。創司郎のことを思うたび、頭を占めるのはそれだ。
「やっと……僕のものになってくれたかな」
 呟いても起きる気配はない。ここまで気を許してもらえるだなんて、それこそこの数ヶ月ずっと画策していたかいがあったというものだ。
 創司郎のことを好きだと自覚したあの日。僕の心に湧き上がったのは狂おしいほどの彼への想いと、まるで今まさに生まれ落ちたのではないかと疑ってしまうような、渦巻くほどの激情だった。
 何も手に取らないで生きてきた。他人はおのれを害する怪物。高科の家も、たらい回しにしてきた親戚のやつらも、不貞を強いた野郎どもも、僕を気味悪がった人間も。みんなみんな敵だったし、時にはひどく怖い存在で、だからこそ僕はこの心を閉じ、何も見ないようにすることで自分のことを守ってきた。高科先輩に近づくことができなかったのも、彼との縁を結べなかったのも、思えばきっと僕があの人を恐れていたからなのだと思う。
 そうやって360度壁を貼り続けたまま大きくなり、やがて人付き合いのやり方も、他人に近づく方法も忘れた頃に訪れたのが、立花希佐という転機だった。
 凍りついた僕の心は少しずつ溶けて感情を取り戻し、他人への関心も再び生まれてくる。つかず離れず、程良い距離感で見守ってくれていた白田の存在に気づけたのも、ちょうど一年くらい前のことだ。
 そして、ゆっくりと融解していく心の隙間に入り込んだのが創司郎という少年だった。失恋の傷を抱えた男。痛い痛いと泣き叫ぶことすらひどく下手くそで、じっと身を丸めて耐え忍んでいた創司郎のすがたは、まるで幼い頃の自分を映しているようでもあった。
 類似点から始まった関心はやがて僕に二度目の恋心を芽生えさせ……そして、彼を僕だけのものにしたいという強烈な欲求を生んだ。
 彼の心がほしかった。立花に向ける関心も、視線も、執着も、そのすべてをこちらにやってほしくてたまらなかった。生まれて初めて芽生えた実感は僕の心に湧くような独占欲と、嫉妬心と、彼にも負けない強い執着心を与え、何もかもをこの手に納めてやろうという汚い誓いすら行わせる。
 創司郎がほしかったのだ。だから彼に優しくして、彼の心に入り込んで、少しずつ僕で満たしてやった。僕がいなければ生きていけないように仕向けて、僕に対して依存させて、僕だけを見て生きていくように、創司郎の心を作り変えた。
 転機となったのはやはり冬公演だろうか。あの頃には創司郎の気持ちが少しずつこちらに向き始めていることがわかっていたので、僕はひとつ賭けに出た。立花というアルジャンヌに創司郎というジャックエースをぶつけ、創司郎自身に立花の隣にいることへの違和感を覚えさせるという、博打も博打の大博打だ。
 そのために僕は白田の手伝いという名目で二人に似合いそうな台本を選んだし、創司郎をジャックエースに推薦した。前夜から種を植えつけて、配役発表の日にはダメ押しとして水をまく。
 そして、立花によく似た柔和な雰囲気の優しい先輩を演じてしまえば――あとはもう、すべてが思い描いたままだ。
 自分の目的のために白田や公演を利用することへの罪悪感は多少あったけれど、それでも僕は止まらなかった。他の生徒にも申し訳ないが、今の僕にとっては舞台よりも創司郎が、あの危うい少年のほうが大切で大きな存在であるのだ。
 よもやここまでうまくいくとはもちろん思っていなかったけれど……こうして隣で眠る創司郎を見ていると、ああやっとこの手のうちに納まってくれたのだなと、僕を選んでくれたという実感がこれでもかと溢れてくる。
 心が好きだと叫んでいた。彼のことが好きで好きでたまらず、どうしようもなく狂おしいと、僕の心はあの日からずっと歓喜の嬌声をあげている。
「ねえ、創司郎。……大好きだよ。これからはずっと一緒にいようね」
 穏やかな寝息を立てる創司郎にそっと身を寄せ、僕は再び目を閉じる。大好きで大切な彼のぬくもりと香りは、今まで味わったことのないような歓びをこの胸に運んでくれた。
 何度紡いでも足りないほどの愛の言葉が、この頭のなか浮かんで仕方ない。ああ、ああ。今すぐにでも吐き出さないと気が狂ってしまいそうだ。創司郎、と小さく呟いて彼の頬を撫でながら、僕は至上の歓びというやつを今全身に浴びている。
 愛の歓びというのは、きっとこの感情のことを呼んでいるのだろうと思った。
 あどけなくも愛おしい、幼気な創司郎の寝顔を感じながら……僕はうるさくてたまらない脳内を黙らせるかのように、今度こそ眠りにつくのだった。

 
20210512