てんやわんやの数時間

 ――頭のなかが、ふわふわする。
 なんとなく熱っぽいような、けれど、ひどく満ち足りたような。文字どおり夢見心地なまま、私は重たいまぶたをゆっくりと開く。途端、まばゆく射し込むのは太陽の光――ではなく、おそらく天井に設置されているであろう、かなりの光度を誇る照明だった。
 青緑、青、黄色、赤、ピンク――様々な色彩が私の目に思い切り刺さって、一気に意識が覚醒した……ような、気がする。
 おそらくテントのものと思しき天井はやけに派手な造りをしているが、しかし不思議と不快な感じはしない。
 施された装飾をなぞるように視線を動かしていると、やけにキラキラした目の初音ミクが私の視界に飛び込んでくる。
 彼女は私の思う初音ミクとはまったく違う格好をしていたが、何故だか私は直感的に、それが「初音ミク」だと理解した。

「やーっと起きてくれた! ミク、輝夜ちゃんが起きるのずっとずっと待ってたんだよ!」
「は……う、ん? なんで、初音ミクが――」
「ふふっ、それはねえ。ここがセカイだから、だよっ☆」

 どうやらこのミクが、気を失った私のことを介抱してくれていたらしい。
 さすがにもう彼女のことを夢だなんだと疑う気力はなくなっていたし、「輝夜ちゃん」と呼ばれることへの苦言も出てこなかった。……うまく頭が働かないのだ。
 ああ、けれど、よもやあの初音ミクに膝枕をしてもらえる日が来るなんて――たとえ昨日の私にこのことを言ったとしても、決して信じてはくれないだろう。そんなことを考えてしまうくらいに現状は非現実的であったし、反面、すべてを受け入れ始めている自分がいることも確かだった。
 ふらつく体をなんとか起こし、ミクの膝枕から離れる。ミクはもっと寝てていいのに! と言ってくれたけれど、なんとなく居心地が悪かったので――もちろんミクの膝枕に不満があるわけではないが――失礼した。
 目の前に立ってまじまじと見つめるミクは、やはり私のよく知る「初音ミク」とはいっさい趣が違うけれど……それでも、確かに初音ミク以外の何者でもない出で立ちだ。

「セカイっていうのは、人の想いでできた場所なんだけどね。この『ワンダーランドのセカイ』は、特に司くんの想いでできた場所で――」

 ミクが言い出して、しばらく。こちらが騒がしいのを聞きつけたらしい天馬と――カイトさんが、やってくる。テントの入り口をめくる二人は、私の顔を見た途端、安心したように顔を明るくした。
 二人が視界に入るやいなや、私の心臓は今までにないくらい思い切り跳ねる。直後、再び失いそうになった意識をつなぎとめるのが精一杯、というところにまで成り果ててしまい、私は正常な思考を失いそうになった。

「おお、輝夜! 目を覚ましたんだな」
「あ……う、うん、なんとか――」
「びっくりしたぞ! いきなりおかしなことを口走ったと思ったら、すぐに倒れてしまって――」
「あはは……確かに驚いたけど、『おかしなこと』呼ばわりはよくないよ。どれだけ唐突でも、きっと輝夜ちゃんにとってはとても大切なことなんだろうから、ね」
「む……それもそうか。すまないな、輝夜」

 顔を明るくしたり考え込むような素振りを見せたりと、天馬は相変わらず落ち着きがない。一方のカイトさんは少しも取り乱すことなく、まるで凪のように穏やかに周囲を見守っていた。
 気づけば私はこの状況に抱くべき疑問を遠くのほうに放り投げて、カイトさんというたった一人にすっかり夢中となってしまっていた。もう少しで夢のセカイに落ちてしまいそうな私の意識を現実に引き戻したのは、なんとなく様子のおかしい天馬のひと声だ。

「で、だ! どうして輝夜をここに連れてきたのか、説明してもらえるんだろうな……!?」
「あっ、そうだった! 実は、ミクも今その話をするつもりだったんだけど……輝夜ちゃんをこのセカイに連れてきた理由はね、ズバリ、司くんの想いに変化があったからなんだよ」

「セカイ」だの「想い」だの、私の理解が及ばないような単語がこの場を飛び交っている。
 そういえばさっき、そのセカイどうこうについてミクから軽く説明を受けたような気がするけれど、私の頭はそれを処理する間もなくカイトさんに釘づけになっていたので、すっかり頭から抜けてしまっていた。心の中で、密かにミクに謝罪する。
 ――これではいけないと思うのに。こんなの、いつもの私じゃありえないのに。けれど、普段の自分を簡単に壊してしまうほどの甘美な刺激がすぐそこに立っているのだから、こうなるのも無理はない……なんていうのは、ただの言い訳でしかないか。
 とりあえず、色んな意味で今の私は口を挟むべきではないだろうと判断し、天馬とミクが言いあっている様子を、少し離れたところで見守ることにした。

「司くんは、もしかしたら無意識かもしれないけど……輝夜ちゃんとショーをして、『もっと一緒にショーがやりたい』って、『輝夜ちゃんと一緒にみんなを笑顔にしたい』って思うようになったんじゃないかな」
「ふむ……ま、まあ。確かに輝夜とやるショーは楽しかったが――」
「やっぱり! それでね、その瞬間なんとなくセカイの雰囲気が変わったんだ。ほんの少しだけだけど、ウキウキとか、わくわくとか、違う色が出たみたいなの。輝夜ちゃんといることで司くんに起きてる変化が、このワンダーランドのセカイにも表れてるんだ!」
「それで、ここに輝夜を連れてきたのか。……オレが、輝夜と一緒にショーをしたいと思ったから」
「うん! あとは、単純にミクが輝夜ちゃんに会いたかったのもあるけどねっ」

 途端、ミクたちの視線が一気に私に集まってくる。居心地の悪さは瞬時に最高潮まで達し、私はいよいよ今すぐにでも帰りたいという、当初の望みを思い出した。
 私の心情を察してくれたのだろうか、天馬は私の顔を一瞥したあと、今日は一旦帰っていいかと断りを入れてくれる。このままでは色んな意味で頭がパンクしそうだったので、その気遣いは正直とてもありがたい。
 ミクは少々渋ったようだったが、カイトさんの説得によりなんとか納得したようだ。少しだけしょんぼりしながらも、すぐに朗らかな笑みを浮かべて、私たちに向かって手を振る。

「いきなりのことだったし、今日はとても疲れただろう? ゆっくり休んで、また元気なときに会いに来てね。待ってるよ、輝夜ちゃん」

 初めて訪れた「セカイ」で最後に残ったのは、ひどく優しい、カイトさんの言葉だった。
 私は、そんなカイトさんの――大好きな人の甘い声を耳に住まわせたまま、一転して静かな現実へと戻ったのである。

 
2022/03/02
2022/09/01 加筆修正