気づけば、私はまったくもって見慣れない場所に立っていた。辺りは子供のおもちゃ箱のように夢いっぱいの景色が広がっていて、私がさっきまで立っていたシブヤではないことだけがはっきりとわかる。
私はいったい、何をどうやってここにやってきたのか――? なんとなく聞き覚えのある声がしたことと、まばゆい光で何も見えなくなってしまったことまではギリギリ覚えているが、そのあといったい何があったのかはいっさい記憶にない。
訳がわからなすぎて冷や汗をかく私とは打って変わって、目の前にいる天馬は慣れているのかと思わせるくらいに落ち着きはらっていた。
「おのれ、ミク……! いきなり出てくるなとあれほど言ったのに……というか、いったい何のために輝夜を巻き込んだんだ……?」
ぶつぶつと独り言を繰り返す天馬に、私はおそるおそる話しかけてみる。
ねえ、と声をかけると、天馬は弾かれたように顔をあげ、すまん! と謝ってくれた。
「あの……ごめん、私、全然頭がついていかなくて。天馬、ここについて何か知ってんの?」
「そうだな、まずは諸々の説明が先だ。……仕方ない、とりあえずステージのほうに行こう。すまないがついてきてくれ」
「ええ……!?」
何の要領も得ないまま、ずんずんと進んでいく天馬の後ろをついていく。
先ほど立っていたのはいわゆる郊外だったのか、天馬はこの場所の中心地に向かって歩いているようだった。何故なら進めば進むほどに、辺りの様相は激しく、そして賑やかになっていったから。
一帯はまるで夢の世界、ワンダーランド、もしくはテーマパークのような造りになっていて、よく見るとぬいぐるみの類が自立して動いているようだった。現実ではありえない様子は私のギリギリの理性をこれでもかとつついてきて、ほんの少しの刺激でも気が狂ってしまいそうなほど。
夢ならどうか覚めてくれ――そう念じながら思い切り頬をつねってみるも、猛烈な痛みが襲うばかりで何かが変わる気配はない。幸か不幸か意思疎通のできる人間が目の前にいるという現状は、おそらくこれが紛れもない現実で、私たちがいわゆる異世界に迷い込んでしまったという事実の証左にもなった。
天馬がいてくれて心強いはずなのに、夢ではないという事実を前に、私は重たい絶望感を背負って歩くハメとなっている。
頭を抱えたい気持ちは山々だが、だからといってこんなところで立ち止まっているわけにもいかない。何度も何度も深呼吸を繰り返して、どうにか頭を静かにする。
おのれを叱咤するように両足を動かして天馬の背中を追っかけていると、程なくしてひときわ目立つテントのようなところにたどり着いた。――これは、サーカステントだろうか?
「おーい、ミク、カイトー! 誰かいるかー!?」
中に入って数歩、天馬はよく通る声をなおさら張り上げて誰かしらの名前を呼ぶ。
聞き慣れない、けれど、よく知っている誰かの名前。彼が口にしたその名前を認識する間もなく、影から現れた人物によって、私のなけなしの理性は一気に吹っ飛ばされた。
「おや……司くん、いらっしゃい。後ろにいるのが噂の輝夜ちゃん、かな?」
すらりと伸びた長身に、落ち着いた深い青の髪。何千回、何万回と聞いた声は記憶と相違ないそれで、優しく細められた目元も、ひどく柔らかな物腰も、私がずっと焦がれてやまなかったその人そのものだった。
震える喉を締めつけて、なんとか声を絞り出す。
「カ……カイト、さん……?」
「うん? ……ふふ、そうだよ。はじめまして、輝夜ちゃん」
穏やかに微笑むその表情は、何度も何度も夢に見た、会いたくて狂おしくて、どうしようもなかったそれ。
数年前、何気ない出会いから始まって次元も住むセカイも違う彼に恋をしたのは小学生の頃だった。叶わないとわかっていても気持ちを抑え込むことはできなくて、諦めることもできないまま、不貞腐れた中学時代を過ごしてからの、今。
彼のことを忘れようと、馬鹿な恋だと捨ててしまおうと適当な彼氏なんかも作ったりして。けれど、それでも心のどこかにはずっと潜んでいた、淡くも激しい恋心。
好きで、好きで、仕方なかった。あまくて苦くて魅惑的な、私にとって唯一の人。そんな彼が目の前に現れて、しゃべって、私のことを認知するどころか、名前を呼んでくれている――こんなの、この頭と情緒を狂わせるには余りあるものだ。
気づけば私は、朦朧とした意識のままカイトさんに歩み寄っていて――
「けっ――」
「け?」
「結婚、してください……」
そんな馬鹿げたことを口走り、あろうことか意識を手放してしまったのである。
2022/03/02
2022/09/01 加筆修正