くらむ、くらい

「ラベンダーさんもお酒飲むんだ」

 パンくずのひとつも残っていない食器を運んできたマリィが、出し抜けにそう持ちかけてくる。
 なんのことだと彼女の視線を追ってみると、そこにあったのは食器棚の端にぽつねんと置かれていた酒瓶だ。半分ほどまで減ったそれに興味がわいたのだろう、マリィはぼくと瓶を交互に見ながらぼくの返事を待っている。彼女の肩に乗るモルペコも興味津々といった具合でこちらに視線を向けていた。

「気になる?」
「うん。ていうか、気になるから聞いとー」
「ああ、なるほど。確かに。……えっと、ぼくの実家が果樹園をやってるのは、妹から聞いてるかな」

 ぼくの問いかけに、マリィはこくんと頷いた。
 小さく動いた丸い頭をひとなでして、ぼくは彼女から食器を受け取り、水を溜めた洗い桶へ浸けてやる。洗剤を数回プッシュしてから彼女のほうへ向き直ると、マリィは両目をきらきらと輝かせながらぼくを熱心に見つめていた。今か今かと続く言葉を心待ちにしているようだ。

「あれはね、リンゴで作ったお酒なんだ。実家の果樹園で採れたものを使っていて……だから度々送られてくるんだよね、お前もこれを飲めよーって」
「両親からの仕送りってこと?」
「そうなるかな? と言っても、ぼくはいうほど飲まないから、なかなか消費が追いつかなくて」

 やっとあそこまで減らせたんだよね。ぼくがそう言うと、今度はうーんと悩むようにマリィは目を伏せている。何かしらを考え込んでいるのだろうか、じわじわと眉間にしわを寄せる彼女の動向を、ぼくはじっと見守ってみた。可愛いな、と漏れそうなひと言はすんでのところで飲み込んだ。

「ラベンダーさん」

 答えに辿り着いたのだろうか。マリィはすっと目を開き、ぼくのことを見上げてくる。
 動かない主人に飽きたらしいモルペコはさっさとテーブルのほうへ戻っていて、ぼくのバタフリーの背中に乗ってきゃっきゃと遊んでいるようだ。りんぷんをあまり散らさないようにと言いつけてはあるけれど、あんなにはしゃいでいるようではその言葉も忘れているだろう。
 マリィは数歩近寄ってきて、躊躇いがちにぼくの袖の裾をつかむ。蠱惑的な仕草に胸の奥底がざわつく心地がしたが、やはりそれも、なんとか飲み下してやった。

「マリィが大人になったら、一緒にあのお酒飲みたい」

 ぺと、と体をひっつけてきたおかげで、マリィが今どんな表情をしているかはわからない。
 けれど彼女が彼女なりの勇気を振り絞ってきたことは声色だけでもわかることで、ぼくはそんな些細な言動ですらこのうえない愛おしさを募らせてしまうほど、彼女のことを好いている。
 可愛いね、好きだよ、喉のすぐそこまで迫ったそれをすべて吐き出してさっさと抱きしめてしまいたいけれど……なんとなく頭の隅にとある男の顔が浮かんだので、ぼくはおのれの欲求を静かにさせるほかなかった。彼に嫌われては困るから。

「別に今すぐ飲んでもいいと思うけど」
「は? ダメに決まってんじゃん、アニキに言ったらタチフサグマに殴られるよ」
「はは……さすがにあの子とやりあうのはキツいな……」

 言わなきゃバレないのになあ、なんてことは口が裂けても言えなくて。この兄妹は本当に真面目で真っ当に育っているのだなと、ぼくは二人が秘める眩しさに、目がくらむような錯覚をおぼえた。

 
20201130