「なあ、シーナ。また課外授業が始まったって話と――あと、アカデミーに新進気鋭の転入生が来たって話、知っとる?」
唐突に話しかけてきたチリの背中へ、ゆるりと視線を向ける。視界の端に映った観葉植物が少し弱っているように見えて、途端、彼らの肥料を買い足し忘れていたことを思い出した。
午後にでも出かけて買いに行こうか――そんなことを考えながら、再びチリの背中へ意識をやる。すらりとした彼女の背はあさのひざしによって輪郭を柔らかくあらわしていて、その愛おしさに目を細めた。
リビングの窓の前に立つチリは、ひどくおだやかな様子でヴィーシニャに語りかけてきた。ゆっくりと彼女の話を聞き、同じく丁寧に言葉を返す。
「課外授業については把握しているわ、これでも元教員ですもの。転入生……というのは、以前どこかのジムで会った、と言っていた子かしら」
「アッハッハ、そうやったな。ほな今回はその転入生について話するわ。なんかな、トップ曰くその子がめっちゃすごいらしいねん」
チリの言うことはこうだ。件の転入生――ハルトという名の少年は、アカデミーの課外授業こと『宝探し』において、怒涛の勢いで各地のジムを制覇し続けているらしい。噂ではスター団を解散させていたり、ヌシポケモンにもちょっかいを出してみたりと、パルデア全土を文字通り縦横無尽に駆け回っているらしいのだ。
彼の評判は留まるところを知らず、四天王の面々も彼に注目しているのだとか。……そういえば、先日リーグ職員の同僚がそれらしいことを言っていたような気もする。
四天王が関心を向けているということは、このチリも決して例外ではないわけで……彼女も例にもれず、ハルトの動向が気になって仕方ないようなのだ。
「あーあ、チリちゃんもはよハルトと戦いたいなー。立場上、あんまりバトルを安売りするわけにもいかんしなあ」
数々のチャレンジャーが四つ目のジムで頭打ちになるなか、彼はぐんぐんと腕を上げ、つまずくような気配をいっさい感じさせないという。
のびしろだらけの少年の登場は、パルデア地方屈指の実力者である彼女の心に、ヴィーシニャでは近づけないほどの熱い火を灯してしまった。
翻るように振り返ったチリは、ひどく見覚えのある顔をして笑う。すっかり口角を上げた様子はかつてヴィーシニャの前に晒したそれとよく似ていて、人好きのする彼女が腹の奥に隠し込んだ“キバ”がその身を少しだけ顕しているようでもある。
「ほんま――新しい風、吹かせてくれそうやで」
やがて彼女はいつもどおりのやわっこい笑みになったけれど、ぎらつく瞳の奥に見えた彼女の本心を、ヴィーシニャはやはり忘れられそうにないのであった。
2022/11/29