ワイナリーの大掃除3

 アカツキワイナリーの使用人の間には、いわゆる「暗黙の了解」と呼ばれるものがいくつも存在しているらしい。それらはオーナーの責務に関わる重大なものであったり、はたまた日常の何気ない気遣いから来るものであったりと様々だが、真面目な使用人たちは可能な範囲でそれらを守ろうと、精いっぱい務めているのだそうだ。
 しかし、最近になってそのルールが新たに三つほど追加されたのだと、新人教育を担当してくれているメイド長はどこか感慨深そうに口にする。
 一つ目、ディルックの在宅中は私室および寝室に極力近づかないこと。
 二つ目、ディルックとハーネイアが広間や廊下で仲睦まじそうにしはじめたら、可及的速やかにその場を離れること。
 そして三つ目は――ハーネイアにたいして、出来うる限り「様」という敬称をつけないこと。
 傍から見ればなんてことない内容のものばかりだが、その「何気なさ」こそが日常をうまく過ごすためのちょっとしたコツであるのだと、メイド長はさらに続けた。彼女の視線の先には、お屋敷の外周の掃除を任されたメイドが二人と、そんな彼女らを手伝うハーネイアの姿がある。

「――わあっ! ハーネイアさん、ありがとうございます!」

 高らかに声をあげて拍手を送るのは、並び立つメイドの片割れであるモコだった。何か喜ばしいことがあったのか、その声色は普段よりも少しだけ騒がしい。
 あの日の旅人の勇姿を思い出します――そう熱く語るのは、隣に立つヘイリーである。
 あとから聞いた話によると、定期的に行われる外周掃除において、草束のなかに紛れた落ち葉で苦労したのはどうやら今回が初めてではなかったらしい。前回は旅人――もとい、モンドが誇る「栄誉騎士」がそれらを吹き飛ばしてくれたおかげで事なきを得たのだが、彼がこの場を立ち寄ってくれる幸運がそう何度も続くわけはない。
 方法は頭にあるくせに、それをこなすだけの技術がない。そうして二人が頭を抱えていたところに通りすがったのが、ハーネイアだったというわけだ。風元素力を操れる彼女は、二人の言うとおりに落ち葉を吹き飛ばし、ありったけの賛辞をもらっている。
 その程度がどうにもむず痒いのか、幼い彼女は垂れ下がった瞳をさらにとろけさせて、照れ臭そうに笑っていた。

「えへへ……とんでもないです。お役に立ててよかった」
「もー、本当に困ってたんですよ! 以前は旅人が助けてくれたんですけど、まさかまた似たような目にあうなんて思ってもみませんでした」
「ハーネイアさんのおかげで、今回もメイド長からのお叱りを回避できます……! 本当にありがとうございました!」

 調子のいいメイドの二人は、まるで神様でも拝むかのようにハーネイアに頭を下げる。その大げさな具合といったら、メイド長からのしっとりとした視線に気づいたらしいハーネイアが控えめにアイコンタクトをとるほどだ。
 彼女からのちいさなサインに、モコとヘイリーはお手本のようにぴしゃんと背筋を伸ばす。

「メッ、メイド長……! す、すみませんハーネイアさん、私たち、他のところも掃除してきますね!」
「今回は本当にありがとうございました! また後ほど、改めてお礼をしますので……っ!」
「あはは……そんなの、全然気にしないでください。わたしはただ、こうやってお手伝いをしながらワイナリーのことを勉強したいだけですから」

 だから、また何かあったらいつでも相談してくださいね――ハーネイアの言葉にいたく感激したのか、二人のメイドは少しばかり涙ぐみながらも足取り軽やかに次の持ち場へと去っていった。彼女らが見えなくなるまで見送ったハーネイアはというと、そのままきょろりと周囲を見渡して、また別のところへと移っていく。
 次に声をかけるのはおそらく、農夫であるトゥナーか、もしくは事務仕事に励むエルザーだろうか――その答えは、案内のために場を離れた自分たちには図りかねるところである。

「あんなに一生懸命なところを見たら、ディルック様のお気持ちを抜きにしたって、みんなハーネイアさんのことが大好きになっちゃいますからね」

 立ち去る直前、メイド長はひどく穏やかな声でそう語った。
 つまるところ、あたらしく追加されたルールの数々は、ワイナリーの人間から彼女にたいする歓迎の証であり、思いやりの表れなのだろう――華奢な背中を視界の端に捉えながら、新米メイドはちいさく息を吐いたのだった。

 
デイリーネタでした
2024/07/28